松崎天民

松崎 天民
誕生 松崎 市郎
1878年5月18日
岡山県真庭市真庭郡落合町
死没 (1934-07-22) 1934年7月22日(56歳没)
職業 ジャーナリスト
小説家
評論家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
ジャンル 小説風俗料理
文学活動 都市風俗
代表作 『淪落の女』
親族 滝善三郎
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

松崎 天民(まつざき てんみん、1878年5月18日 - 1934年7月22日)は、日本の作家新聞記者

都市風俗、特にアンダーグランドの探訪を得意とし、『淪落の女』『銀座』などを著した。神戸事件滝善三郎は祖母の弟[1]

略歴

[編集]

岡山県真庭市真庭郡落合町)生まれ。名は市郎。15歳で母親を亡くす[2]

学歴は小学校4年修業であるが、生来、文才があり、1900年大阪新報をふりだしに、大阪朝日新聞、上京して国民新聞東京朝日新聞毎夕新聞都新聞二六新聞中央新聞などで27年間の新聞記者生活をすごした。一方、35歳(1912年)のとき、浅草区千束町の私娼窟(いわゆる十二階下)をテーマにした『淪落の女』を著し、その叙情的名文で読者を酔わせた。

1928年からは雑誌『食道楽』を発行した。料理ジャーナリストのほとんど最初のひとでもある。料理ジャーナリストは松崎以前の先駆者として村井弦斎、松崎以後、本山荻舟などがあらわれた。

浪曲を好み[3]、自身でも巧みに演じることができた[4]

1934年(昭和9年)に56歳で死去。

著作

[編集]

多くの作品が近代デジタルライブラリーで公開されている。

  • 新聞記者修行(有楽社、1910年)
  • 東京の女(隆文館、1910年)
  • 甲州見聞記(磯部甲陽堂、1912年)
  • 淪落の女(磯部甲陽堂、1912年)
  • 女八人(磯部甲陽堂、1913年)
  • 同棲十三年(磯部甲陽堂、1914年)
  • 万年筆 社会観察(磯部甲陽堂、1914年)
  • 青い酒と赤い恋(磯部甲陽堂、1915年)
  • 恋と名と金と(弘学館、1915年)
  • 人間世間(磯部甲陽堂、1915年)
  • 犯罪哀話(佐藤出版部、1916年)
  • 漂泊の男 流転の女(弘学館、1916年)
  • 運命の影に(磯部甲陽堂、1917年)
  • 温泉巡礼記(磯部甲陽堂、1918年)
  • 歓楽の底より(磯部甲陽堂、1918年)
  • 女人崇拝(精禾堂、1920年)
  • 闇路を辿る女(常磐堂書店、1923年)
  • 人間秘話 記者懺悔(新作社、1924年)
  • 諧謔四十男の悩み(近代文芸社、1924年)
  • 銀座(銀ぶらガイド社、1927年)
  • 人間見物(騒人社書局、1927年)
  • 旅行気分山水行脚(三水社、1928年)
  • 裏面暗面実話(「明治大正実話全集」第12巻、平凡社、1929年)
  • 都新聞論(「綜合ヂャーナリズム講座」第4巻所収、内外社、1931年)
  • 三都喰べある記(誠文堂、1932年)

音源

[編集]
  • 浪花節漫談(上)(下)(オデオンレコード、1931年1月、U-2168)[5] 

文献

[編集]
  • 後藤正人『松崎天民の半生涯と探訪記 友愛と正義の社会部記者』(和泉選書、2006年)
  • 坪内祐三『探訪記者松崎天民』(筑摩書房、2011年)

その他

[編集]

岡山県鏡野町奥津温泉に歌碑がある。亡くなる前年に詠んだもの。[1]

奥津湯の情あつきに一夜寝て雪に明けたる今朝のよろしき

脚注

[編集]
  1. ^ 自著『運命の影に』p1、磯部甲陽堂、1917
  2. ^ 友人一家の死 松崎天民『四十男の悩み』一九二八[昭和三]年、有宏社
  3. ^ 松崎天民”. 吉備路文学館. 2018年8月2日閲覧。
  4. ^ 戸板康二「林芙美子の母性本能」『泣きどころ人物誌』文藝春秋、1987年、243頁。ISBN 4-16-729207-6 
  5. ^ オデオンレコード”. 78MUSIC. 2018年7月30日閲覧。

外部リンク

[編集]