板倉昌信

 
板倉昌信
時代 江戸時代中期
生誕 元禄13年8月4日1700年9月16日
死没 享保15年4月27日1730年6月12日
別名 重宇[1]
墓所 長圓寺 (西尾市)
官位 従五下讃岐守因幡守右衛門佐、右近
幕府 江戸幕府
主君 徳川家宣家継吉宗
備中庭瀬藩
氏族 板倉氏
父母 板倉重高松平近栄養女
兄弟 熊太郎、豊次郎、昌信内藤正敬正室
加藤泰恒、宮本氏
勝興堀直著正室、石川総恒正室
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板倉 昌信(いたくら まさのぶ)は、備中国庭瀬藩2代藩主。重宣流板倉家3代。

略歴

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初代藩主板倉重高の次男。母は松平近栄の養女(田村建顕の娘、近栄の外孫)。正室は加藤泰恒の娘。側室は宮本氏。子に板倉勝興(長男)、娘(堀直著正室)、娘(石川総恒正室)。官位は従五位下、讃岐守、因幡守、右衛門佐、右近[2]

板倉昌信の墓(西尾市長圓寺)

正徳3年(1713年)、父の死去により家督を継ぐ。藩政に見るところもなく、寛永15年(1730年)4月27日に31歳で死去した。家督は長男の勝興が継いだ。

系譜

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脚注

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  1. ^ 賞延武鑑(正徳三年)
  2. ^ 賞延武鑑(正徳三年)には「板倉越中守重高 御嫡 板倉右近重宇」とある