柳沢信孝

 
柳沢信孝
時代 江戸時代中期
生誕 元禄4年(1691年
死没 元文4年2月16日1739年3月25日
別名 武次郎、兵庫、八郎右衛門、右近(通称
戒名 信孝
墓所 東京都新宿区市谷河田町正覚山月桂寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川吉宗
氏族 柳沢氏
父母 柳沢信尹、横山刑部左衛門娘
兄弟 信孝酒井忠道赤井盤公養女、
大久保忠香養女、川窪信安養女、
柳沢信孝養女、山高信蔵室、神保定興室ら7男9女
浅野長恒娘、岡部定長
小宮山昌雄室ら
信武柳沢信尹
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柳沢 信孝(やなぎさわ のぶたか)は、江戸時代中期旗本通称は武次郎、のち兵庫、八郎右衛門、右近。

柳沢信尹の長男。母は横山刑部左衛門の娘。子に娘(小宮山昌雄の妻)らがいる。先妻は浅野長恒の娘。後妻は岡部定長の娘。

男子がみな早世したため、致仕後に養子の信武が家督を継いだ。

年表

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※日付は旧暦

参考文献

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