柳沢政位

 
柳沢政位
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和元年(1764年
死没 不明
改名 政位、清閑(号)
別名 弥三郎、六郎左衛門(通称
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家斉
氏族 柳沢氏
父母 柳沢安長飯塚昭之
兄弟 政位言明
柳沢正春養女
政倚
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柳沢 政位(やなぎさわ まさたか)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本通称は弥三郎、のち六郎左衛門。号は清閑。

柳沢安長の長男。母は旗本飯塚昭之の娘。妻は大和郡山藩士柳沢正春の養女。

文化5年2月1日1808年2月26日)、大和郡山藩主柳沢家と両敬の取扱いとなった[1]

政位の致仕後、長男の政倚が家督を継いだ。

年表

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※日付は旧暦

脚注

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  1. ^ *「縁戚記」 『柳沢家譜集』 柳沢文庫保存会、1995年 pp.243に拠る。政位は柳沢家の祖である柳沢信俊の長男・柳沢安吉から数えて6代目の当主で、柳沢家の嫡流である。一方、大和郡山藩主柳沢家は藩祖・吉里が信俊の次男・安忠の孫に当たるため支流である。このような事情から、両家の間で初めて両敬の取扱いが交わされた。

参考文献

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