池田大伍

池田大伍

池田 大伍(いけだ だいご、1885年明治18年)9月6日[1] - 1942年昭和17年)1月8日[1])は、歌舞伎劇作家[2]、劇評家、翻訳家。甥は池田弥三郎[1]

生涯

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池田鉸三郎・乃婦の次男に生まれた。家は幕末から続く銀座の天ぷら屋「天金」で[1]、兄が金太郎、本人の幼名が銀次郎だった[1]。1891年から私塾の鍋町小学校に通い[3]、公立の麹町小学校を卒業した[4]。その後商工中学を経て、1907年早稲田大学英文科を卒業した[1]東京毎日新聞の劇評を2年書いた後、1911年(明治44年)、坪内逍遙らの文芸協会の演芸主事となった[1]。1913年(大正2年)の文芸協会解散後は、東儀鉄笛・土肥春曙らと劇団「無名会」を組織し[1]、翌1914年、第一作『滝口時頼』を上演した[1]。1915年に無名会が解散すると、二代目市川左團次を囲む「七草会」の会員となり、松居松翁岡本綺堂小山内薫永井荷風らと交わる[1][5]。1928年、二児をもうけた妻あさを喪った。同年、二代目市川左團次ソ連公演の際は文芸部長として同行し[1]、後にドイツ・フランス・イタリアへ演劇巡礼を共にした。帰国後は、中国文学の研究を進め、元曲の翻訳などを手がけた[1]。1930年に再婚。

1940年に早稲田大学が着手した『演劇百科大事典』の編纂に携わっていたが、1942年、風邪から急性肺炎を併発して急逝した[1]

没後、30年以上経って刊行された『元曲五種』(1975年刊行)は、吉川幸次郎がその正確さと滑らかさに驚く出来だった[6]

業績

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台本の初演の記録(抄)

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外題、演者、劇場、初演年次の順で、列記する。

  • 『滝口時頼』、無名会第2回、帝国劇場(1914年3月)
  • 『親友』(唯一の現代劇)、無名会第7回、有楽座(1915年3月)
  • 『茨木屋幸斎』、無名会第8回、有楽座(1915年5月)
  • 『一時の賭』、無名会第8回、有楽座(1915年5月)
  • 『共益貯金』、無名会、有楽座(1915年10月)
  • 『慧春尼行状』、無名会、有楽座(1916年1月)
  • 『西郷と豚姫』、無名会、有楽座(1917年5月)
  • 『名月八幡祭』、二代目市川左団次・四代目沢村源之助六代目市川寿美蔵歌舞伎座(1918年8月)
  • 『佐倉新絵巻』、二代目市川左団次、市村座(1921年11月)
  • 『根岸の一夜』、十三代目守田勘弥、帝国劇場(1922年10月)
  • 『月佳夏夜話』、二代目市川左団次、明治座(1923年6月)
  • 『妖婦』、七代目松本幸四郎、帝国劇場(1924年)
  • 『男達ばやり』、二代目左団次・松本幸四郎、歌舞伎座(1926年5月)

近年出版された文業

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国会図書館が保管している著作目録は、同館のNDL-OPAC検索[1]で一覧出来るものの、ほとんどが古い。近年出版された文業のみ、以下に記す。

  • 『男達ばやり』(「東京創元社 名作歌舞伎全集 第20巻(1969)」に収録)
  • 『西郷と豚姫』(「東京創元社 名作歌舞伎全集 第25巻(1971)」に収録)
  • (訳書)関漢卿・谷子敬・武漢臣ほか:『元曲五種』、平凡社 東洋文庫(1975)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 池田大伍|歌舞伎用語案内”. enmokudb.kabuki.ne.jp. 歌舞伎 on the web. 2021年12月23日閲覧。
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 84頁。
  3. ^ 池田弥三郎:『銀座十二章』、旺文社文庫(1980)p.104
  4. ^ 『私の履歴書 13集 石塚粂蔵』(日本経済新聞社、1961年7月20日発行)
  5. ^ 断腸亭日乗 1919 - 1942。
  6. ^ 吉川幸次郎:『跋』(「池田大伍訳:『元曲五種』、平凡社 東洋文庫278(1975)」p.365)

参考文献

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  • 池田大伍『年譜』(「改造社 現代日本文学全集35 現代戯曲名作集(1929)」の巻末)
  • 池田弥三郎『銀座十二章』、旺文社文庫(1980)
  • 利倉幸一『解説』(「『名作歌舞伎全集20』、東京創元新社(1969)」p.294)