浅井政重

 
浅井政重
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
死没 承応元年8月24日1652年9月26日
別名 通称:新太郎
戒名 日久
墓所 京都府京都市上京区妙顕寺
幕府 江戸幕府 書院番
主君 豊臣秀保徳川家康秀忠家光
氏族 尾張浅井氏
父母 父:浅井新八郎、母:毛利高政の娘
兄弟 長時、女(市橋長勝正室)、政重、ほか
お亀の方の姪
政候、茂大夫、女(水野正照室)、ほか
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浅井 政重(あざい まさしげ)は、安土桃山時代武将江戸時代前期の旗本徳川氏の家臣。

略歴

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浅井新八郎の末子[1]。尾張浅井氏の出身。

初め豊臣秀保に仕え、13歳のときに徳川秀忠の正室の崇源院の招請により徳川家康に仕え、山城国綴喜郡で500石を与えられ、徳川家では主に書院番などを担当した[1]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いや、慶長19年~20年(1614年1615年)の大坂の陣には徳川方として参戦した[1]

正室は、徳川義直の生母(お亀の方)の姪という[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d 堀田 1923, p. 988.

参考文献

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