浜田儀一郎
浜田 儀一郎(濱田、はまだ ぎいちろう、1842年(天保13年2月[1][2]) - 1914年(大正3年)5月16日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]淡路国三原郡(のち兵庫県三原郡松帆村→西淡町、現・南あわじ市)生まれ[1]。漢学、数学、武術を修める[2]。公立洲本中学校(現・兵庫県立洲本高等学校)学務委員、兵庫県会議員、同常置委員、同副議長となる[1][2]。
1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において兵庫10区から自由党所属で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では憲政党から立候補したが落選した[4]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再び立候補したが落選した[5]。1914年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。