澤井孝子

さわい たかこ
澤井 孝子
本名 沢井 孝子
別名義 沢井 孝子
生年月日 (1949-04-13) 1949年4月13日(75歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府
身長 162 cm[1]
ジャンル 女優
活動期間 1970年 -
活動内容 テレビドラマ
著名な家族 沢井桂子(姉)
事務所 宝井プロジェクト
主な作品
テレビドラマ
ミラーマン
『愛すれど愛は悲し』
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澤井 孝子(さわい たかこ、1949年4月13日[2][1][3][4] - )は、日本女優。本名および旧芸名、沢井 孝子(読み同じ)[2][3][4][5][6]

大阪府出身[2][3][4][5][6]城右女子高等学校卒業[7][8] 。姉は女優沢井桂子[4][5][6][9]。矢島聰子事務所[3]を経て、宝井プロジェクト所属[1]

人物

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中学3年生だった1964年に、芸能界入りした姉とともに上京。高校3年のときに「ミス着物」に選ばれ芸能界を目指すようになる[10]

1968年高校卒業と同時に東宝芸能アカデミーに入る[2][4][5][6]。1972年の新聞インタビューでは、芸能界入りに際して姉の桂子からは内向的な性格から反対されるが、芸能界入りしてからは内向的な性格が治り、陽気な性格に変わったと答えている[10]

その後、劇団雲の研究生となり、1970年テレビドラマだいこんの花』(NET)でデビュー[4][5][6]

1971年特撮テレビドラマミラーマン』(CX)に、ヒロインの御手洗朝子役でレギュラー出演[4][11]。当時の紹介記事では「作品の彩的な役柄なので、個性がないので却ってやりにくい」と述べている[4]。『ミラーマン』出演中の1972年3月に劇団雲の準劇団員に昇格する[10]

1973年、フジテレビの昼ドラ『愛すれど愛は悲し』で、社長令嬢から一括千金を夢見る青年と恋に堕ちて、周囲の反対を押し切って結婚するヒロインの河田知子を演じる。当時の紹介記事では「主役は初めてなので不安はありましたが、一人の女性の変化を演じるのが難しいので勉強になりました」と述べている[6]

1975年演劇集団 円の創立に参加[2][12]。主にテレビドラマに出演し、1985年に円を退団した後も[2][12]、演技派女優として活躍する。

出演作品

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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広告

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シングル

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脚注

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  1. ^ a b c 澤井孝子” (PDF). 宝井プロジェクト. 2017年3月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『テレビ・タレント人名事典』(第2版)日外アソシエーツ、1995年7月27日、397頁。ISBN 4816913157 
  3. ^ a b c d 日本タレント名鑑'93』VIPタイムズ社、1993年、506頁。 
  4. ^ a b c d e f g h 『福島民報』1971年12月14日付朝刊8面。タレント「舞台は未経験 沢井孝子」
  5. ^ a b c d e 『福島民報』1970年10月22日付朝刊8面。タレント「本当の女優に 沢井孝子」
  6. ^ a b c d e f 『河北新報』1973年8月7日付朝刊8面。タレント「姉は昼メロの女王 沢井孝子」
  7. ^ 『新劇便覧'81』テアトロ、1981年、114頁。 
  8. ^ 『日本タレント名鑑'83』VIPタイムズ社、1982年、320頁。 
  9. ^ 『日本映画人名事典』 女優編 上巻、キネマ旬報社、1995年、796頁。ISBN 4873761409 
  10. ^ a b c サンケイ新聞』1972年4月3日付朝刊21面。タレントスコープ「『ミラーマン』でよい子に人気 沢井孝子」
  11. ^ 白石雅彦 編著『ミラーマン大全』円谷プロダクション監修、双葉社、2004年2月20日、5頁。ISBN 978-4575296525 
  12. ^ a b 澤井孝子”. タレントデータバンク. 2017年3月15日閲覧。
  13. ^ 医療過誤で訴えられた辻村を救え!最強弁護士VSラジエーションハウス!!”. フジテレビュー!!. フジテレビ (2021年11月10日). 2021年11月21日閲覧。

外部リンク

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