碁聖
碁聖(ごせい)は
碁聖と呼ばれた人物
[編集]- 平安時代の棋士。俗名は橘良利[1]。宇多天皇に仕えた僧侶であり、醍醐天皇の御前で藤原清貫と天覧対局を行った[1]。その強さから「碁聖大徳」と称された[2][1]。最も早い時期に碁聖と呼ばれた人物とされる[3]。
- 江戸時代前期の棋士。本因坊丈和と比較して「前聖」とも呼ばれる。
- 江戸時代中期の棋士。囲碁の名人であるだけでなく、将棋も上手(七段)並みで中将棋も抜群の強さであったため「盤上の聖」と呼ばれた[4]。
- 江戸時代後期の棋士。本因坊道策と比較して「後聖」とも呼ばれる。
碁聖戦
[編集]碁聖戦 | |
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公式戦(七大タイトル) | |
前身 | 日本棋院第一位決定戦 →全日本第一位決定戦 |
概要 | |
主催 | 新聞囲碁連盟[注 1]、日本棋院、関西棋院 |
優勝賞金 | 800万円 |
挑戦手合 | 五番勝負 |
棋戦形式 | 24名+αによる本戦トーナメントで挑戦者決定 |
持ち時間 | 挑戦手合: 4時間 本戦: 3時間 |
秒読み | 5分前より |
創設年 | 1975年 |
開催時期 | 挑戦手合: 6-8月 本戦: 前年11月-6月 |
公式サイト | 日本棋院 碁聖戦 |
記録 | |
現碁聖 | 井山裕太(第49期) |
名誉称号 | 大竹英雄(名誉碁聖) 小林光一(名誉碁聖) 井山裕太(名誉碁聖資格) |
最多優勝 | 井山(10期) |
最長連覇 | 大竹、小林、井山(6連覇) |
全日本第一位決定戦が発展的に解消し、1976年に開始。新聞囲碁連盟[注 1]及び日本棋院、関西棋院が主催。第1期は全日本第一位タイトル保持者であった大竹英雄と、挑戦権を得た加藤正夫の間で決勝五番勝負が行われた。第4期までは5人のリーグ戦によって挑戦者を決定し、タイトル保持者と挑戦手合五番勝負で優勝者を決定。第6期からは、トーナメント戦勝ち抜き者とタイトル保持者と挑戦手合五番勝負。トーナメント決勝は、第5-7期は三番勝負、8期以降は一番勝負。
長年七大タイトル戦の中で唯一、出場資格に制限があった[注 2]。
第49期(2024年)までの間に戴冠者は14名いるが、長期戴冠者が多く、大竹英雄(7期)・小林光一(9期)・依田紀基(6期)・張栩(4期)・井山裕太(10期)の5名だけで通算36期獲得している。なお大竹は前身の日本棋院第一位決定戦、全日本第一位決定戦でもこのタイトルに強く、全日本のタイトルは一度も大竹以外の手に渡ったことはなかった。
名誉碁聖
[編集]碁聖を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、60歳以降に「名誉碁聖」を名乗る権利を得る。
棋士 | 期 | 連覇 | 年 | |
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1 | 大竹英雄 | 7期 | 6連覇 | 1978、1980-1985 |
2 | 小林光一 | 9期 | 6連覇 | 1988-1993・1999・2001-2002 |
3 | 井山裕太 | 10期 | 6連覇 | 2012-2017・2021-24 |
歴代碁聖
[編集]棋士 | 生年 | 初奪年 | 通算 | 連覇 | |
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1 | 加藤正夫 | 1947年3月15日 | 1976 | 3期 | 2連覇 |
2 | 大竹英雄 | 1942年5月12日(82歳) | 1978 | 7期 | 6連覇 |
3 | 趙治勲 | 1956年6月20日(68歳) | 1979 | 2期 | |
4 | 小林光一 | 1952年9月10日(72歳) | 1988 | 9期 | 6連覇 |
5 | 林海峰 | 1942年5月6日(82歳) | 1994 | 1期 | |
6 | 小林覚 | 1959年4月5日(65歳) | 1995 | 1期 | |
7 | 依田紀基 | 1966年2月11日(58歳) | 1996 | 6期 | 3連覇 |
8 | 山下敬吾 | 1978年9月6日(46歳) | 2000 | 1期 | |
9 | 張栩 | 1980年1月20日(44歳) | 2006 | 4期 | 4連覇 |
10 | 坂井秀至 | 1973年4月23日(51歳) | 2010 | 1期 | |
11 | 羽根直樹 | 1976年8月14日(48歳) | 2011 | 2期 | |
12 | 井山裕太 | 1989年5月24日(35歳) | 2012 | 10期 | 6連覇 |
13 | 許家元 | 1997年12月24日(26歳) | 2018 | 1期 | |
14 | 一力遼 | 1997年6月10日(27歳) | 2020 | 1期 |
歴代挑戦手合
[編集]◯●は勝者から見た勝敗、網掛けはタイトル保持者。(第1期は全日本第一位に挑戦)
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リーグ戦成績
[編集]- 第1期(1975-76年)
順位 | 出場者 / 相手 | 加藤 | 島村 | 小林 | 藤沢 | 趙 | 勝 | 負 |
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1 | 加藤正夫 | − | ○ | ○ | ○ | ○ | 4 | 0 |
2 | 島村俊宏 | × | - | × | ○ | ○ | 2 | 2 |
2 | 小林光一 | × | ○ | - | × | ○ | 2 | 2 |
4 | 藤沢朋斎 | × | × | ○ | - | × | 1 | 3 |
4 | 趙治勲 | × | × | × | ○ | - | 1 | 3 |
- 第2期(1976-77年)
順位 | 出場者 / 相手 | 武宮 | 梶原 | 藤沢 | 大竹 | 石井 | 勝 | 負 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 武宮正樹 | − | ○ | ○ | × | ○ | 3 | 1 |
1 | 梶原武雄 | × | − | ○ | ○ | ○ | 3 | 1 |
3 | 藤沢秀行 | × | × | - | ○ | ○ | 2 | 2 |
3 | 大竹英雄 | ○ | × | × | − | ○ | 2 | 2 |
5 | 石井邦生 | × | × | × | × | - | 0 | 4 |
- プレーオフ: 武宮正樹○ - ×梶原武雄
- 第3期(1977-78年)
順位 | 出場者 / 相手 | 大竹 | 武宮 | 石田 | 小林 | 橋本 | 勝 | 負 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 大竹英雄 | − | ○ | ○ | ○ | ○ | 4 | 0 |
2 | 武宮正樹 | × | - | ○ | ○ | ○ | 3 | 1 |
3 | 石田芳夫 | × | × | - | ○ | ○ | 2 | 2 |
4 | 小林光一 | × | × | × | − | ○ | 1 | 3 |
5 | 橋本宇太郎 | × | × | × | × | - | 0 | 4 |
- 第4期(1978-79年)
順位 | 出場者 / 相手 | 趙 | 工藤 | 坂田 | 羽根 | 石田 | 勝 | 負 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 趙治勲 | − | ○ | ○ | ○ | ○ | 4 | 0 |
2 | 工藤紀夫 | × | - | ○ | ○ | ○ | 3 | 1 |
3 | 坂田栄男 | × | × | - | × | ○ | 1 | 3 |
3 | 羽根泰正 | × | × | ○ | − | × | 1 | 3 |
3 | 石田芳夫 | × | × | × | ○ | - | 1 | 3 |
昇段規定
[編集]→「囲碁の段級位制 § プロ」も参照
- 六段以下の棋士が、碁聖挑戦権を獲得した場合、七段に昇段する。
- 七段の棋士が碁聖位を獲得した場合、八段に昇段する。
- 八段で、他のタイトルを1期獲得している棋士が碁聖を獲得した場合、九段に昇段する。
2018年、許家元がこの規定により八段に昇段している。
エピソード
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “囲碁の日本棋院”. 囲碁の日本棋院. 2024年4月27日閲覧。
- ^ “第1章 文学作品にみる囲碁”. 「本の万華鏡」第22回「日本の囲碁-白と黒の戦い-」. 2024年4月27日閲覧。
- ^ 『囲碁の文化史』108頁。同著に依れば、寛蓮が碁聖と呼ばれたことは一条兼良の『花鳥余情』に書かれている。
- ^ 『道知』249頁
- ^ 『丈和』245頁
- ^ 『秀策』275頁
- ^ 中山典之『昭和囲碁風雲録(下)』(岩波書店)
- ^ 『囲碁の文化史』188頁
- ^ “碁聖のタイトル、河北新報記者が獲得 創業家の一力八段:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年8月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 石田芳雄・田村孝雄・林裕『秀策』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1976年、275頁。
- 坂田英男・藤三男・林裕『道知』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1975年、249頁。
- 高川格・村上明・林裕『秀栄』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1976年、274頁。
- 林裕『囲碁百科辞典』金園社、1975年、60頁。
- 藤沢秀行・相場一宏・林裕『丈和』筑摩書房〈日本囲碁体系〉、1976年、245頁。
- 水口藤雄『囲碁の文化史』日本棋院〈碁スーパーブックス〉、2001年、108、144、160、188頁。