磯部町三ヶ所

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磯部町三ヶ所
磯部町的矢から見た三ヶ所集落
磯部町的矢から見た三ヶ所集落
磯部町三ヶ所の位置
磯部町三ヶ所の位置
磯部町三ヶ所の位置(三重県内)
磯部町三ヶ所
磯部町三ヶ所
磯部町三ヶ所の位置
北緯34度21分45.4秒 東経136度51分50.9秒 / 北緯34.362611度 東経136.864139度 / 34.362611; 136.864139
日本の旗 日本
都道府県 三重県
市町村 志摩市
地域 磯部地域
町名制定 2004年(平成16年)10月1日
面積
 • 合計 3.530296932 km2
標高
1.8 m
人口
2019年(令和元年)7月31日現在)[WEB 2]
 • 合計 256人
 • 密度 73人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
517-0211[WEB 3]
市外局番 0599(阿児MA[WEB 4]
ナンバープレート 三重
※座標・標高は三ヶ所区民センター(磯部町三ヶ所403番地)付近

磯部町三ヶ所(いそべちょうさんがしょ)は、三重県志摩市大字。半農半漁の地域[1]、海女はいないが男性の海士が存在する[2]

地理

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志摩市北部に位置する磯部地域の東部にある[1]。住所上「磯部町三ヶ所」となる地区は3つに分かれて存在し、三ヶ所集落が形成されている三ヶ所本体は的矢湾南岸に位置する[1]。このほか、的矢湾北岸に向井地[注 1]と須崎[注 2]の飛地がある[1]。三ヶ所集落は雑木林に囲まれ、里・今里・西浜などに分かれる[1]

三ヶ所本体は、北から東にかけて的矢湾に面し、南は阿児町国府、西は磯部町坂崎と接する[1]。飛地の向井地は北から東にかけて磯部町的矢、南から西にかけて磯部町山田と接し、洲崎は四方を磯部町的矢に囲まれている。海を隔てて北東に渡鹿野島(磯部町渡鹿野)が浮かぶ[3]

水産業

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2008年(平成20年)現在の三ヶ所の漁業就業者は101人である[WEB 5]。三ヶ所を管轄する鳥羽磯部漁業協同組合(JF鳥羽磯部)三ヶ所支所に所属する組合員は194人でうち正組合員は28人である[WEB 6]。JF鳥羽磯部では2011年(平成23年)3月31日に坂崎・飯浜・穴川支所を閉鎖し[WEB 7]、三ヶ所支所がその管内を引き継いだ[WEB 6]ノリ養殖と釣舟経営を主としている[WEB 6]

三重県教育委員会による2010年から2011年にかけての調査によれば、三ヶ所には9人の男性海士(全員が舟人海士)が存在する[2]。年間操業日数は40日で、志摩市内の海士・海女のいる地域では最も短い[4]。市内の他地域では1日の出漁回数・時間に制限があるが、三ヶ所では制限を設けていない[5]

上述の通り、三ヶ所は鳥羽磯部漁協の管轄地域であるが、三重外湾漁業協同組合移動販売車「朝獲れ鮮魚便」の巡回地に含まれている[6]

歴史

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三ヶ所では、室町時代以降の貝塚である三ヶ所貝塚が見つかっている[7]江戸時代には志摩国答志郡国府組に属し、三ヶ所村として鳥羽藩の配下にあった[8]。『志陽略誌』などは「三箇所」と表記した[3]。村高は近世を通して227石であった[8]。50隻の船を所有し、うち商船が3隻、藻取り用のさっぱ船が11隻で、残りはちょろ船であった[3]。近海で難破船が発生した場合は救助に向かい、廻船から手数料収入を得ていた[3]

明治以降、3度の合併を経験し、現在まで大字として存続している[8]学制発布により開校した三ヶ所学校は1887年(明治20年)に的矢小学校の分教場となり、1889年(明治22年)に本校へ統合され姿を消した[9]カキ養殖を行っていたが、1950年(昭和25年)を最後に行われなくなったが、1955年(昭和30年)2月の三重統計調査事務所『農林水産業表式調査』では「漁村で浅海養殖業に賃労働する集落」に分類された[10]。ここでの「浅海養殖業」は真珠養殖を指し、1960年代には33戸が従事していた[11]1960年のチリ地震では三ヶ所と的矢間の160 - 170台が津波で流され壊滅的被害を受けた[12]

1961年(昭和36年)4月1日、三ヶ所保育所が認可を受けて開所、1993年(平成5年)にひのでが丘保育所に統合されるまで存続した[13]

沿革

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地名の由来

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諸説ある[8]

  1. 大日・増谷・里の3つの集落から形成されていたことから[8]。なお、大日・増谷は後に無住地区となった[14]
  2. 須崎の鼻・口ナシ谷・里の3つの集落から移住してきたことから[8]。3集落の住民は同じ一族であり、一族の統一と飲料水の確保のために三ヶ所を開拓したものと推察される[14]
  3. 山田・坂崎・甲賀の3つの村の寄合地であったことから[8]。この3村は明治まで自由に三ヶ所村でをとっており、阿津摩里崎(あつまりざき)という地名も残っている[14]

世帯数と人口

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2019年(令和元年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

町丁 世帯数 人口
磯部町三ヶ所 132世帯 256人

人口の変遷

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1746年以降の人口の推移。なお、2005年以後は国勢調査による推移。

1746年延享3年) 275人 [8]
1880年(明治13年) 433人 [3]
1908年(明治41年) 521人 [8]
1960年(昭和35年) 647人 [15]
1980年(昭和55年) 433人 [1]
2005年(平成17年) 341人 [WEB 8]
2010年(平成22年) 318人 [WEB 9]
2015年(平成27年) 273人 [WEB 10]

世帯数の変遷

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1746年以降の世帯数の推移。なお、2005年以後は国勢調査による推移。

1746年延享3年) 59戸 [8]
1880年(明治13年) 88戸 [3]
1908年(明治41年) 82戸 [8]
1960年(昭和35年) 135世帯 [15]
1980年(昭和55年) 122世帯 [1]
2005年(平成17年) 123世帯 [WEB 8]
2010年(平成22年) 122世帯 [WEB 9]
2015年(平成27年) 107世帯 [WEB 10]

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 11]

番・番地等 小学校 中学校
全域 志摩市立鵜方小学校 志摩市立文岡中学校

かつては、三ヶ所の児童・生徒は船で対岸の的矢にある的矢小学校2016年3月31日閉校)・的矢中学校2013年3月31日閉校)へ通学していた[16]

交通

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三ヶ所船乗り場

阿児町国府から磯部町三ヶ所・磯部町的矢を経て青峰山に至る経路は、近世に主要路であった[17]

陸上交通

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鉄道
鉄道は通っていない。最寄駅は阿児町鵜方にある近鉄志摩線鵜方駅
コミュニティバス
三ヶ所(県道船乗場)バス停[WEB 12]
道路

海上交通

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以下のほか、1985年(昭和60年)7月1日まで近鉄志摩観光汽船により、磯部町穴川との間を約40分で結ぶ定期船が運航されていた[18]

  • 県道船 - 三重県道750号阿児磯部鳥羽線の一部で、磯部町三ヶ所 - 磯部町的矢間を無料で結んでいる[WEB 13]

施設

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  • 三ヶ所区民センター
  • 鳥羽磯部漁業協同組合三ヶ所支所
  • フィッシングセンターマンボウ
  • 永田渡船
  • 釣宿三ヶ所
  • 志州建設株式会社

寺社

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その他

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日本郵便

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脚注

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注釈

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  1. ^ 伊勢志摩カントリークラブ付近にある。
  2. ^ 磯部町的矢の宮ノ鼻付近にある[1]

WEB

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  1. ^ 三重県志摩市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年8月28日閲覧。
  2. ^ a b 志摩市の人口について”. 志摩市 (2019年7月31日). 2019年8月28日閲覧。
  3. ^ a b 磯部町三ヶ所の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 総務省統計局"(1) 漁業就業者数"(2014年1月20日閲覧。)
  6. ^ a b c 鳥羽磯部漁業協同組合"支所紹介5 鳥羽磯部漁業協同組合 お魚いきいきドットコム"(2014年1月20日閲覧。)
  7. ^ 【組合の概要】鳥羽磯部漁業協同組合 お魚いきいきドットコム”. 2013年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月20日閲覧。
  8. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ 学校通学区”. 志摩市. 2019年8月28日閲覧。
  12. ^ 志摩市役所まちづくり課 (2013年4月1日). “磯部地域予約運行型バスハッスル号時刻表 うみルート(月・水・木曜日)” (PDF). 2014年1月19日閲覧。
  13. ^ 県道船の歴史(磯部町史より)”. 志摩市立的矢中学校 (2001年6月2日). 2009年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月19日閲覧。
  14. ^ a b 伊勢志摩きらり千選実行グループ"大日堂"(2014年1月20日閲覧。)
  15. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1419.
  2. ^ a b 三重県教育委員会 編(2012):11ページ
  3. ^ a b c d e f 平凡社地方資料センター 1983, p. 714.
  4. ^ 三重県教育委員会 編(2012):26ページ
  5. ^ 三重県教育委員会 編(2012):27ページ
  6. ^ 常清秀「奈屋浦地区」『平成30年度特定水産物供給平準化事業 関係調査事業 「中核的産地における機能の動向及び国産水産物の需給調整に関連した取組事例」報告書』公益財団法人水産物安定供給推進機構、2019年3月、47-63頁https://www.fishfund.or.jp/data/pdf/H30report.pdf 
  7. ^ 磯部郷土史刊行会 編(1963):394, 423ページ
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 536.
  9. ^ 磯部郷土史刊行会 編(1963):281 - 282ページ
  10. ^ 大島(1957):22, 24ページ
  11. ^ 大島(1957):24ページ
  12. ^ 佐藤(1960):196ページ
  13. ^ 三重県磯部町(2004):7, 20ページ
  14. ^ a b c 磯部郷土史刊行会 編(1963):58ページ
  15. ^ a b 磯部郷土史刊行会 編(1963):11ページ
  16. ^ 志摩市市長公室 編(2006):22ページ
  17. ^ 藤本(1966):482ページ
  18. ^ 磯部町史編纂委員会 編(1997):1281ページ
  19. ^ a b c d 磯部郷土史刊行会 編(1963):163ページ
  20. ^ a b c d 磯部郷土史刊行会 編(1963):174ページ
  21. ^ a b 磯部郷土史刊行会 編(1963):175ページ

参考文献

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  • 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、昭和38年5月10日、506p.
  • 磯部町史編纂委員会 編『磯部町史 下巻』磯部町、平成9年9月1日、1340p.
  • 大島襄二(1957)"変貌する水産養殖業地域―的矢湾のカキについて―"人文地理(人文地理学会).9(1):16-28.
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24 三重県』角川書店、1983年6月8日。ISBN 4-04-001240-2 
  • 佐藤忠勇(1960)"三重県下におけるチリ地震津波と養殖イカダの被害状況"水産増殖(日本水産増殖学会).8(3):193-202.
  • 志摩市市長公室 編『広報しま 2006年8月号』Vol.39、志摩市市長公室、平成18年8月1日、24p.
  • 藤本利治(1966)"志摩国沓掛考"人文地理(人文地理学会).18(5):475-488.
  • 三重県磯部町『磯部町50年のあゆみ 町制施行50周年記念誌』三重県磯部町、2004年、38p.
  • 三重県教育委員会 編『海女習俗基礎調査報告書―平成22・23年度調査―』三重県教育委員会、平成24年3月、202p.
  • 平凡社地方資料センター 編『「三重県の地名」日本歴史地名大系24』平凡社、1983年5月20日。ISBN 4-58-249024-7 

関連項目

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外部リンク

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