稲垣則茂
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛文5年(1665年) |
別名 | 平助、喜左衛門 |
主君 | 牧野忠成→忠成 |
氏族 | 稲垣氏(平助家) |
父母 | 父:稲垣長茂 |
兄弟 | 重綱、則茂、重大、大久保忠知正室、 石川政次正室ら |
子 | 実子あり 養子:牧野忠清(牧野忠成五男) |
稲垣 則茂(いながき のりしげ)は、江戸時代前期の武将。牧野家の家臣。稲垣家(平助家)初代。
略歴
[編集]上野大胡藩2代藩主・牧野忠成に仕え、大坂夏の陣では戦功を挙げた。そのため大胡藩の筆頭家老に任じられて家臣団の第1グループである平助組を主導した。元和2年(1616年)7月の越後国長峰藩移封では城地整備の責任者を務めた。元和4年(1618年)の越後長岡藩移封でも城地整備の責任者を務めた。その功により、3村2400石を与えられている。忠成の五男・忠清を養子に迎えていたが、後に実子に恵まれている。
出典
[編集]- 『三百藩家臣人名事典』 新人物往来社
- 『三百藩藩主人名事典』 新人物往来社
- 『江戸三百藩藩主総覧』 新人物往来社