穂波町
ほなみまち 穂波町 | |||||
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廃止日 | 2006年3月26日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 飯塚市、頴田町、庄内町、穂波町、筑穂町 → 飯塚市 | ||||
現在の自治体 | 飯塚市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
郡 | 嘉穂郡 | ||||
市町村コード | 40426-8 | ||||
面積 | 25.23 km2 | ||||
総人口 | 25,642人 (平成17年国勢調査) | ||||
隣接自治体 | 飯塚市、嘉穂郡稲築町、桂川町、筑穂町 | ||||
町の木 | クロガネモチ | ||||
町の花 | 水仙 | ||||
穂波町役場 | |||||
所在地 | 〒820-8605 福岡県嘉穂郡穂波町大字忠隈523番地 | ||||
外部リンク | 穂波町公式サイト | ||||
座標 | 北緯33度37分12秒 東経130度40分54秒 / 北緯33.61997度 東経130.68172度座標: 北緯33度37分12秒 東経130度40分54秒 / 北緯33.61997度 東経130.68172度 | ||||
ウィキプロジェクト |
穂波町(ほなみまち)は、福岡県の中央部に位置していた町である。嘉穂郡に属しており、筑豊を構成する自治体の一つであり、嘉飯山地区の一つであった。
2006年3月26日、飯塚市・筑穂町・庄内町・頴田町と対等合併し、新市制による飯塚市となった。以下の内容は合併直前時点のものである。
地理
[編集]- 河川 : 穂波川
歴史
[編集]かつて筑豊炭田が栄えた時代には、筑豊の中でも人口増加が著しく、最盛期には4万人を数え、日本一人口が多い村であった。(町制施行前)飯塚市(当時:6万人程)からの合併の話を持ち掛けられ、10万人都市を目指していたが、飯塚側は「編入」、穂波側は「対等」を求めており、このぶつかり合いから合併が実現されなかった。
筑豊炭田が衰退したあとは、人口減少が著しくなり、2006年頃の平成期に約25,000人にまで減ってしまった。
年表
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、穂波郡堀池村、忠隈村、南尾村、太郎丸村、椋本村、安恒村、椿村、弁分村、小正村、若菜村、枝国村、秋松村、楽市村、平恒村の区域をもって穂波村として発足。
- 1896年(明治29年)2月26日 - 郡制施行により嘉穂郡に属する。
- 1936年(昭和11年)4月15日 - 住友忠隈炭鉱で人車が坑底に転落。死者50人[1]。
- 1955年3月31日 - 大分村の一部を編入(大分村の他の地域は上穂波村・内野村と対等合併して筑穂町となる)
- 1957年11月3日 - 町制施行し穂波町となる。
- 2006年3月26日 - 飯塚市・筑穂町・庄内町・頴田町と合併し、飯塚市を新設して消滅。
経済
[編集]産業
[編集]- かつては炭鉱が町の経済を支えていたが、現在ではすべて閉山している。
- 炭鉱跡地を利用して飯塚工業団地が造成された。約30社の企業の工場が誘致されている。
地域
[編集]教育
[編集]中学校
[編集]- 穂波町立穂波東中学校
- 穂波町立穂波西中学校
小学校
[編集]- 穂波町立楽市小学校
- 穂波町立平恒小学校
- 穂波町立椋本小学校
- 穂波町立若菜小学校
- 穂波町立高田小学校
穂波町教育委員会では通学区域は従来のままだが、希望すれば町内のどの学校でも選んで、転入学できる「学校選択制」制度を平成14年度から導入している。
交通
[編集]空港はなし。最寄り空港は福岡空港。
鉄道
[編集]ただし、町の中心部から大きく離れている。
バス路線
[編集]国道200号線上の穂波バス停に他地域への特急・急行バスが発着するほか、飯塚市との間を結ぶ一般路線バスも運行されている。
道路
[編集]町内に高速道路は通っていない。
有料自動車道
[編集]一般国道
[編集]主要地方道
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、45頁。ISBN 9784816922749。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 飯塚市(旧穂波町)公式サイト
- 穂波町ホームページ(2006/02/26アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project