第一大福丸型貨物船

第一大福丸型貨物船
「第一大福丸」(表記は「大福丸」)
基本情報
船種 貨物船
運用者 川崎造船所
川崎汽船
国際汽船
その他(「略歴」を参照)
建造所 川崎造船所
建造期間 1916年 – 1921年
就航期間 1916年 – 1954年
建造数 75隻 (引退10隻、喪失60隻、不明1隻)
要目
総トン数 5,850トン
載貨重量 9,100トン
垂線間長 117.35 m
15.54 m
喫水 10.97 m
主機関 三連成機関 1基1軸
4,000 馬力
速力 14.5ノット
テンプレートを表示

第一大福丸型貨物船(だいいちたいふくまるがたかもつせん)は、第一次世界大戦のさ中の1916年(大正5年)から大戦終結後の1921年(大正10年)にかけて川崎造船所で建造された貨物船で、建造数の総計は75隻におよぶ。なお、一覧などの「第○大福丸」の読みは「いふくまる」であり、「いふくまる」とは濁らない。

川崎造船所が手持資材を活用して大量建造したストックボートのクラスの一つで、のちに、第一次世界大戦中に日本とアメリカ合衆国との間に締結された日米船鉄交換契約に基づいて日本側が建造した船舶のうち、川崎造船所の担当分船舶の一部にもなった。竣工後は一定数が契約通りにアメリカ政府およびイギリス政府などに引き渡されたほか、日本国内の海運会社にも売却された。川崎汽船第二次世界大戦期まで存在した国際汽船は、初期の船隊に第一大福丸型貨物船を活用して経営を開始した。

本項では、主に建造までの背景や特徴などについて説明するが、隻数が膨大なうえに海外譲渡分に関しては不明な点があることから、履歴などは極力判明している事柄のみを記すこととする。

建造までの背景

[編集]

第一大福丸型貨物船の整備の背景には、三つの伏線がある。

第一船「第一大福丸」の竣工写真で船名表記が「大福丸」となっているため、クラス名を「大福丸型貨物船」とする書物もあるが、「大福丸」という名前の1,676トンの貨物船は、すでに1915年(大正4年)12月に川崎造船所で竣工している[1]。厳密には、「大福丸」の竣工時の船名は「第十大運丸」であるが[1]、この船もまた、手持資材を活用したストックボートとして建造された[2]。よって、「大福丸型貨物船」という記述としては「大福丸」の存在を考えると正しくない。「第一大福丸」の船名表記が「大福丸」となった理由は不明である。第一大福丸型貨物船と関係のない「大福丸」が、実は第一大福丸型貨物船の整備の伏線の一つである。「大福丸」が竣工した時点では第一次世界大戦が勃発しており、船価が高騰した一方で船を一隻でも欲しい状況となって、内田信也山下亀三郎勝田銀次郎の三大船成金が台頭した。「大福丸」も川崎側に有利な条件で売却され、決して儲け商売とは言えない造船業では良いニュースとして扱われた[2]

二つ目の整備の伏線は、某船会社[注釈 1]からの貨物船建造依頼をめぐる話である。川崎で船価80万円で貨物船を建造させたことのある某船会社が、80万円に足が出る程度の価格と踏んで新たな貨物船の建造を川崎に依頼した[2]。これに対して川崎は135万円を提示したが、某船会社は135万円では高すぎるとして川崎との話を打ち切って、別の造船所に85万円で貨物船を建造させようとした[2]。振られた川崎はその話を聞いて実現性に首をかしげたが、果たして85万円では到底できないと船会社と造船所との間でトラブルとなり、結局船会社が資材を提供するという条件で完成にこぎつけた[3]

三つ目は、当時の川崎造船所の稼働状況である。第一大福丸型貨物船の整備に取りかかろうとしたころの川崎造船所では、戦艦伊勢」と貨客船「湖北丸」(大阪商船、2,619トン)、日本郵船が整備していたT型貨物船のうちの「但馬丸」、「龍野丸」および「鳥羽丸」ぐらいしか新造船工事がなく、暇を持て余していた[4]。川崎造船所の松方幸次郎社長は当時、長期にわたる海外出張中であったが、これら一連の出来事を参考に、ストックボートの建造を決意する[3]。総計で96隻ものストックボートを建造したが[3]、その中でも最も勢力が大きかったのが、9,100重量トン型の貨物船として建造された第一大福丸型貨物船であった。

一覧

[編集]
船名 起工 進水 竣工 建造日数 備考・出典
第一大福丸/Argonne 1916年10月7日 1916年9月12日 1916年12月28日 325 [1]
吉田丸 1916年9月19日 1917年2月22日 1917年4月9日 202 [1]
第三大福丸/War Queen 1916年12月1日 1917年3月10日 1917年4月5日 125 [1]
第四大福丸/War Prince 1917年1月13日 1917年4月23日 1917年5月17日 124 [5]
第八大福丸/War Admiral 1917年2月22日 1917年7月5日 1917年7月28日 156 [5]
第六大福丸/War Council 1917年3月10日 1917年6月6日 1917年7月2日 114 [5]
第九大福丸/War Wolf 1917年4月23日 1917年8月18日 1917年9月10日 140 [5]
第十大福丸/War Lion 1917年6月6日 1917年9月1日 1917年9月25日 111 [5]
第十一大福丸/War Tiger 1917年5月23日 1917年9月14日 1917年10月10日 140 [5]
第十二大福丸/War Hero 1917年5月30日 1917年9月16日 1917年10月15日 138 [5]
第十三大福丸/War Pilot 1917年6月23日 1917年10月15日 1917年11月7日 137 [5]
第十四大福丸/ぼるねお丸 1917年7月5日 1917年10月28日 1917年11月24日 142 [5]
第十五大福丸/せれべす丸 1917年9月1日 1917年11月13日 1917年12月12日 102 [5]
第十六大福丸/すまとら丸 1917年8月18日 1917年11月27日 1917年12月25日 129 [5]
第十七大福丸/神国丸 1917年9月16日 1917年12月27日 1918年1月15日 123 [5]
第十八大福丸/Eastern Queen 1917年9月1日 1918年1月15日 1918年2月22日 174 第一次日米船鉄交換契約船舶[5][6]
第十九大福丸/Easterner 1917年9月14日 1918年2月22日 1918年3月13日 180 第一次日米船鉄交換契約船舶[5][6]
第二十二大福丸/長門丸 1917年10月15日 1918年5月27日 1918年6月27日 255 [5]
第二十大福丸/Eastern Sun 1917年11月15日 1918年4月11日 1918年5月7日 273 第一次日米船鉄交換契約船舶[5][6]
第二十三大福丸/永福丸 1917年10月28日 1918年7月14日 1918年8月5日 281 [5]
第二十一大福丸/Eastern Sea 1918年1月16日 1918年5月10日 1918年6月1日 136 第一次日米船鉄交換契約船舶[5][6]
第二十五大福丸/興福丸 1917年11月27日 1918年8月6日 1918年8月27日 273 [5]
第二十六大福丸/East Wind 1918年4月25日 1918年8月21日 1918年9月9日 137 第一次日米船鉄交換契約船舶[5][6]
第二十七大福丸/East Cape 1918年6月21日 1918年9月19日 1918年10月7日 108 第一次日米船鉄交換契約船舶[5][6]
第二十八大福丸/Easter Ling 1918年7月16日 1918年10月3日 1918年10月21日 97 第一次日米船鉄交換契約船舶[5][6]
第二十九大福丸/喜福丸 1918年8月21日 1918年10月18日 1918年11月6日 77 [5]
第三十一大福丸/豊福丸英語版 1918年8月6日 1918年11月1日 1918年11月22日 108 [5]
第三十大福丸/来福丸 1918年10月7日 1918年10月30日 1918年11月6日 30 [7]
盛福丸 1918年9月6日 1918年11月29日 1918年12月15日 100 [7]
東福丸英語版 1918年9月20日 1918年12月15日 1919年1月7日 109 [7]
慶福丸 1918年10月18日 1918年12月17日 1919年1月11日 85 [7]
智福丸 1918年10月3日 1919年1月13日 1919年1月30日 119 [7]
隆福丸 1918年10月30日 1919年1月5日 1919年1月19日 81 [7]
徳福丸 1918年11月1日 1919年1月15日 1919年2月13日 104 [7]
寿福丸 1918年11月8日 1919年1月29日 1919年2月17日 101 [7]
坡土蘭ぽーとらんど 1918年11月29日 1919年2月17日 1919年3月13日 104 [7]
華盛頓わしんとん 1918年12月17日 1919年2月15日 1919年3月5日 78 [7]
晩香坡丸 1918年12月15日 1919年3月3日 1919年3月27日 102 [7]
桑港丸 1919年1月5日 1919年3月1日 1919年3月14日 68 [7]
紐育丸 1919年1月13日 1919年3月28日 1919年4月16日 93 [7]
りばぷうる丸 1919年1月15日 1919年3月31日 1919年4月18日 93 [7]
ぐらすごう丸 1919年2月15日 1919年4月10日 1919年5月8日 82 [7]
新嘉坡丸 1919年1月29日 1919年4月14日 1919年5月17日 108 [7]
智利丸 1919年3月1日 1919年4月30日 1919年6月10日 101 [7]
伯剌西爾丸 1919年4月10日 1919年5月31日 1919年6月20日 71 [7]
亜爾然丁丸 1919年3月28日 1919年6月15日 1919年7月4日 98 [7]
Eastern Moon 1919年7月14日 1919年11月6日 1919年12月2日 141 第二次日米船鉄交換契約船舶[6][7]
Eastern Ocean 1919年8月24日 1919年11月24日 1920年1月17日 146 第二次日米船鉄交換契約船舶[6][7]
Eastern Planet 1919年10月8日 1919年12月22日 1920年2月13日 128 第二次日米船鉄交換契約船舶[6][7]
Eastern Dawn 1919年10月22日 1920年1月17日 1920年3月1日 131 第二次日米船鉄交換契約船舶[6][8]
Eastern Cloud 1919年11月6日 1920年2月3日 1920年3月15日 130 第二次日米船鉄交換契約船舶[6][8]
亜丁丸 1919年3月31日 1919年6月16日 1919年7月8日 99 [8]
ねいぷる丸 1919年4月30日 1919年6月28日 1919年7月17日 78 [8]
坡土西ぽーとさいど 1919年5月2日 1919年7月14日 1919年8月1日 91 [8]
からち丸 1919年5月31日 1919年7月26日 1919年8月13日 74 [8]
けいぷたうん丸 1919年6月15日 1919年8月24日 1919年9月13日 90 [8]
蘇格蘭すこっとらんど 1919年6月16日 1919年9月9日 1919年10月14日 120 [8]
伊太利丸 1919年6月28日 1919年9月10日 1919年10月11日 105 [8]
仏蘭西丸 1919年7月26日 1919年10月10日 1919年11月1日 98 [8]
英蘭いんぐらんど 1919年7月28日 1919年10月22日 1919年11月18日 113 [8]
西班牙丸 1919年9月10日 1919年11月22日 1919年12月19日 100 [8]
丁抹でんまーく 1919年9月9日 1919年12月4日 1920年1月28日 141 [8]
和蘭丸 1919年9月10日 1919年12月6日 1920年2月20日 163 [8]
瑞典丸 1919年12月6日 1920年2月5日 1920年4月1日 117 [8]
ちゃいな丸 1919年12月4日 1920年2月16日 1920年4月8日 126 [8]
諾威丸 1919年12月22日 1920年3月18日 1920年4月23日 123 [8]
白耳義丸 1920年1月17日 1920年4月1日 1920年5月8日 112 [8]
おはいを丸 1920年2月5日 1920年4月3日 1920年5月25日 110 [9]
いんであ丸 1920年2月3日 1920年4月19日 1920年6月11日 129 [9]
ていむす丸 1920年4月3日 1920年6月2日 1920年7月21日 109 [9]
おれごん丸 1920年4月1日 1920年6月17日 1920年8月16日 137 [9]
ぱしふいっく丸 1920年4月3日 1920年7月1日 1920年11月18日 229 [9]
たいん丸 1920年4月19日 1920年8月14日 1920年12月28日 253 [9]
あとらんちっく丸 1920年6月2日 1920年8月2日 1920年12月20日 201 [9]
びくとりあ丸 1920年6月17日 1921年1月7日 1921年2月8日 236 [9]

船名の詳しい変遷は「略歴」の項に記す。なお、「第二大福丸」、「第五大福丸」および「第七大福丸」がないのは落丁その他の理由ではなく、すでに別のクラスの貨物船に命名されているためである[1]。「第二大福丸」ははわい丸の姉妹船、「第五大福丸」および「第七大福丸」はT型貨物船である

特徴、評価と就役

[編集]
30日で完成した「来福丸」

第一大福丸型貨物船の建造に際し、川崎造船所では既存の貨物船をタイプシップとした。タイプシップとなったのは大阪商船の志やむ丸型貨物船である[10][11]。志やむ丸型貨物船との主な相違点としては、まずは第一大福丸型貨物船ではイシャーウッド式船体構造英語版を採用している点である[11]。イシャーウッド式船体構造は使用鋼材が少なく済む割に構造が堅牢で、工期が短くコストが抑えられるなどの特徴を有し、1915年からは大阪鉄工所が日本での製造および販売の独占権を持っていた[12][13]。独占権の締結は「第一大福丸」の起工に先立っているが、川崎造船所と大阪鉄工所との間に使用権料の諸交渉があったかどうかは不明である[注釈 2]。いずれにせよ、イシャーウッド式船体構造の採用によって工期は短く、使用鋼材も少なくすむこととなり、これに工員の熟練度の上昇なども合わさって、ついには「来福丸」のように30日で完成する船も出現することとなった[14]。また、船体寸法は志やむ丸型貨物船とほぼ同一であるが、志やむ丸型貨物船が遮浪甲板を有しているのに対して第一大福丸型貨物船は平甲板型で、満載吃水も第一大福丸型貨物船の方が深かった[10]。満載吃水の増加は耐荷重量の増加にもつながっており、平均で約1,227トンも増加していた[10]。重量トン数も大きく見せることが出来、売買上は川崎造船所側に有利になるとみられていた[10]

しかし、第一大福丸型貨物船のキャパシティは船型と比較すると大きすぎ、また平甲板型を採用したため耐波性に難があった[10]。上層甲板のみに特設肋骨を配していた志やむ丸型貨物船に比べて、上層甲板のほかに下層甲板にも特設肋骨を配して強度を与えていたにもかかわらず、外洋での航海で船体が損傷する例も多々あった[10]。「来福丸」は積荷の変位でバランスが崩れて横転沈没したが、キャパシティが船型と比較して大きすぎたがゆえの事故かどうかは不明である。

第一大福丸型貨物船は「当社の造船史に新しいエポックを画した」[15]ことは間違いないが、同時に昭和金融恐慌で川崎造船所が一時経営破たんした要因の一つともなった[14]。第一次世界大戦の終結で75隻の第一大福丸型貨物船を含む96隻のストックボートの大半は売れ残り、川崎造船所ではストックボートを自社運航船として運用したほか、川崎汽船や国際汽船を設立して消化を図ろうとした[14]。しかし、あまりの大船腹をもてあまして海外に活路を求めたりしたものの[16]、所詮は「川崎」という手のひらの中でやりくりをしているようなものであった。やがて国際汽船の経営危機と川崎系企業からの離脱、松方の退陣、そして川崎造船所の経営破たんにいたる[17]。ひいては、「量」を求めて「質」を求めなかった結果、民間船建造の分野では三菱長崎造船所など他の有力な大造船所に一歩後れを取る結果にもなった[18]

太平洋戦争では、日本に残った第一大福丸型貨物船は一部が日本陸軍日本海軍に徴傭され、南方作戦など初期の作戦に投入されたが、1945年(昭和20年)5月12日に沈没した「智利丸」と「伯剌西爾丸」を最後にすべて姿を消した。海外に移った第一大福丸型貨物船の消長についてはすべて判明しているわけではないが、イギリスを経てフランスに移った3隻のうち、「第三大福丸」として建造中にイギリスに引き渡された "War Queen" がギリシャ船籍 "Cleophie Ioanna" となったのち、1954年に解体された。判明している中では、"War Queen" が第二次世界大戦を乗り越えた唯一の第一大福丸型貨物船である。

略歴

[編集]
第一大福丸/Argonne 1916年 Argonne steamship co. (アメリカ) "Argonne"
1918年 アメリカ政府 "Argonne"
1919年 元の船会社へ返還。
1922年 Francaise Marine & Co.(フランス) "Calonne"
1934年 INSA.(イタリア) "Wally"
1935年 ラ・スペツィアで解体
吉田丸 1917年 山下汽船に売却。すぐにイタリア政府に売却。以降不明[1][11][19]
第三大福丸/War Queen 1917年 Furness Withy & Co. Ltd.(イギリス) "War Queen"[1][11]
1919年 Messageries Maritimes, Dunkerque.(フランス) "Lieutenant de la Tour"[11][20]
1951年 Constantin Atychides, Costa Rica.(ギリシャ) "Cleophie Ioanna"[11][20]
1954年 ミルフォードヘイヴンで解体[11][20]
第四大福丸/War Prince 1917年 The Shipping Controller, London.(イギリス) "War Prince"。運航は Furness Withy & Co. Ltd.[5][11][21]
1920年 Messageries Maritimes, Dunkerque. "Commissaire Pierre Lecocq"[11][21][22]
1933年 Theseus S S Co.,Panama.(パナマ) "Mount Pelion"[11][21][22]
1936年 Kulukundis Bros,Syra.(シリア) "Mount Pelion"[11][21]
1937年 Elias G. Culucundis and Stephen C. Costomeni, Athens.(ギリシャ) "Mount Pelion"[11][21]
1942年11月2日 SC-107船団加入中、U-522の雷撃により沈没[11][21]
第八大福丸/War Admiral 1917年 Furness Withy & Co. Ltd. "War Admiral"[5][11][23]
1919年 Messageries Maritimes, Dunkerque. "Chef Mecanicien Mailhol"[11][23]
1936年 John Papadeas,Piraeus.(ギリシャ) "Maleas"[11][23]
1936年 Coumataros Bros,Piraeus.(ギリシャ) "Theodoros Coumantaros"[11][23]
1940年 小谷杢之助「金開丸」[11][23]
1942年10月3日 尻屋崎沖でアメリカ潜水艦「グリーンリング」の雷撃により沈没[11][24][25]
第六大福丸/War Council 1917年 Furness Withy & Co. Ltd. "War Council"
1918年10月16日 マタパン沖で、U-63英語版の雷撃により沈没
第九大福丸/War Wolf 1917年 Furness Withy & Co. Ltd. "War Wolf"
1919年 Messageries Maritimes, Dunkerque. "Commandant Mages"
1933年 Cie France Navigation, Dunkerque.(フランス) "Saint Malo"
1940年 カナダ軍に鹵獲。Canadian Government Merchant Marine Ltd, managers.(カナダ) "Saint Malo"
1940年10月12日 HX-77船団加入中、U-101の雷撃により沈没
第十大福丸/War Lion 1917年 Furness Withy & Co. Ltd. "War Lion"
1919年 African SS Co.(イギリス) "Jebba"
1933年 Tramp Shipping Development Co.(イギリス) "Jebba"
1933年 Xilas & Constantinidis, Syra.(ギリシャ) "Thalia"
1940年10月12日 SC-7船団加入中、U-99英語版の雷撃により沈没
第十一大福丸/War Tiger 1917年 Furness Withy & Co. Ltd. "War Tiger"
1919年 Soc Anon Marittima Italiana, Genoa.(イタリア) "Capodimonte"
1932年 Lloyd Triestino, Genoa.(イタリア) "Capodimonte"
1933年 ラ・スペツィアで解体
第十二大福丸/War Hero 1917年 Furness Withy & Co. Ltd. "War Hero"
1919年 British India SN Co.(イギリス) "Hatkhola"
1934年 大阪で解体
第十三大福丸/War Pilot 1917年 Furness Withy & Co. Ltd. "War Pilot"
1919年 British & African SN Co. "Jekri"
1933年 Tramp Shipping Development Co. "Jekri"
1934年 ジェノバで解体
第十四大福丸/ぼるねお丸 1917年 大阪商船「ぼるねお丸」[5]
1921年 西回り世界一周航路[26]
1923年 ボンベイ[26]
1928年 カルカッタ[26]
1937年 日本陸軍に徴傭[26]
1941年12月8日 マレー作戦[26]
1942年4月10日 セブ攻略戦で爆撃を受け損傷[26]
1942年9月27日 キスカ島に向け小樽出港[27]
1942年10月6日 キスカ島着[27]
1942年10月7日および16日 キスカ島で爆撃を受け放棄[27]
第十五大福丸/せれべす丸 1917年 大阪商船「せれべす丸」[5]
1941年9月 日本陸軍に徴傭[28]
1942年6月1日から6月8日 輸送船団(タボイ→昭南[29]
1944年11月8日 マニラ出撃(第四次多号作戦
1944年11月10日 ルソン島ボンドック半島サバンギン礁に座礁[28]
1944年11月15日 座礁中、爆撃を受け破壊[28]
第十六大福丸/すまとら丸 1917年 大阪商船「すまとら丸」[5]
1919年 東航ニューヨーク線[30]
1941年10月 日本陸軍に徴傭[30]
1942年12月2日から12月15日 八号演習輸送(佐伯ラバウル[31]
1942年12月24日 パラオ[31]
1943年4月20日 サンベルナルジノ海峡東岸部で座礁[31][32]
1943年5月12日 アメリカ潜水艦「ガジョン」の雷撃により大破着底[31][33]
1943年5月27日 放棄
1944年11月22日 日本陸軍は、「すまとら丸」に関わる全賠償額のうち一般海難賠償額相当分を差し引いた額を大阪商船に賠償[34]
第十七大福丸/神国丸 1918年 岸本汽船「神国丸」[5]
1924年 船籍末梢[11]
第十八大福丸/Eastern Queen 1918年 アメリカ政府(U. S. Shipping Board) "Eastern Queen"
1938年 解体
第十九大福丸/Easterner 1918年 アメリカ政府 "Easterner"。
1937年 Chandris, John D.(ギリシャ) "Mari Chandris"
1940年 英ファルマス港で空爆を受けて大破放棄。
第二十二大福丸/長門丸 1918年 日本郵船「長門丸」[5]
1941年10月18日 日本陸軍に徴傭[35]
1941年12月24日 ラモン湾上陸作戦[36]
1943年9月2日 ウェワク港内で爆撃を受け沈没[37][38]
第二十大福丸/Eastern Sun 1918年 アメリカ政府 "Eastern Sun"
1938年 解体
第二十三大福丸/永福丸 1918年 川崎造船所「永福丸」[5]
1920年2月1日 国際汽船「永福丸」[39]
1929年9月15日 興運汽船「永福丸」[11]
1933年12月19日 東大汽船「永福丸」[11]
1940年8月1日 山下汽船「永福丸」[11][40]
1942年8月31日 台湾埠頭角でアメリカ潜水艦「グロウラー」の雷撃により沈没
第二十一大福丸/Eastern Sea 1918年 アメリカ政府 "Eastern Sea"
1936年 解体のため売却
1938年 解体
第二十五大福丸/興福丸 1918年 川崎造船所「興福丸」[5]
1920年2月1日 国際汽船「興福丸」[39]
1938年4月21日 山下汽船「興福丸」[41]
1941年9月 日本陸軍に徴傭[11]
1941年12月24日 ラモン湾上陸作戦[36]
1942年6月1日 ラングーン港で爆撃を受け沈没[42]
第二十六大福丸/East Wind 1918年 アメリカ政府 "Eastern Wind"
1932年 ボストンにて解体
第二十七大福丸/East Cape 1918年 アメリカ政府 "Eastern Cape"
1937年 解体
第二十八大福丸/Easter Ling 1918年 アメリカ政府 "Eastern Ling"
1937年 Chandris, John D. "Antonios Chandris"
1940年9月8日 大西洋上でドイツ仮装巡洋艦「ヴィダー」に拿捕され、爆破処分
第二十九大福丸/喜福丸 1933年から1938年 商業航海・ニューヨーク線
1928年6月 国際汽船「喜福丸」[43]
1932年 荻布海商「喜福丸」[11]
1940年5月30日 日産汽船「日紀丸」[44]
1942年10月 沖輸送第七船団(佐伯→ラバウル)[45]
1943年5月11日から5月17日 R09船団(ラバウル→パラオ)[46]
1943年11月30日から12月8日 輸送船団(パラオ→ラバウル)[47]
1944年1月7日から1月18日 第127船団(門司→高雄)[48]
1944年2月22日 マノクワリ行船団加入中、アメリカ潜水艦「バラオ」の雷撃により沈没[44][49]
第三十一大福丸/豊福丸 1918年 川崎造船所「豊福丸」[5]
1928年6月 国際汽船「豊福丸」[43]
1942年3月1日 ジャワ島エレタン上陸作戦[50]
1943年4月 第三次ウェワク輸送(佐伯→パラオ→ウェワク)[51]
1943年11月16日 大阪商船「豊福丸」[52]
1944年7月4日から7月8日 シミ05船団(昭南→ミリ[53]
1944年9月21日 マタ27船団加入中、ルソン島マシンロック沖で爆撃を受け沈没[54]
第三十大福丸/来福丸 1918年 川崎造船所「来福丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「来福丸」[39]
1925年4月21日 ハリファックス沖で荒天により沈没[55]
盛福丸 1918年 川崎造船所「盛福丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「盛福丸」[39]
1921年9月26日 座礁沈没[11][56]
東福丸 1919年 川崎造船所「東福丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「東福丸」[39]
1933年3月13日 日本合同工船(→共同漁業→日本水産)「東福丸」[11]
1938年1月25日 大光商船「東福丸」[11]
1941年12月24日 ラモン湾上陸作戦[36]
1942年1月21日から1月26日 第二師団輸送(門司→馬公)[57]
1943年7月15日から7月24日 オ505船団(佐伯→パラオ)[58]
1943年12月24日 紀伊半島三木岬沖でアメリカ潜水艦「ガーナード」の雷撃により沈没
慶福丸 1919年 川崎造船所「慶福丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「慶福丸」[39]
1933年8月26日 大光商船「慶福丸」[11]
1941年 日本陸軍に徴傭[11]
1943年1月5日 ラバウル港内で爆撃を受け沈没
智福丸 1919年 川崎造船所「智福丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「智福丸」[39]
1932年 筒井清松「智福丸」[11]
1933年 会陽汽船「智福丸」[11]
1938年9月15日から1939年1月10日 日本海軍に徴傭、一般雑用船[59]
1943年1月 ラエ輸送作戦(十八号作戦)[60]
1943年1月16日 アメリカ潜水艦「グロウラー」の雷撃により沈没[61]
隆福丸 1919年 川崎造船所「隆福丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「隆福丸」[39]
1932年 荻布海商「隆福丸」[11]
1940年5月30日 日産汽船「日照丸」[44]
1941年12月20日 ダバオ攻略戦[36]
1942年1月10日 タラカン島攻略戦[36]
1942年1月24日 バリクパパン上陸作戦[36]
1942年3月1日 ジャワ島クラガン上陸作戦[50]
1942年12月30日 アメリカ潜水艦「グロウラー」の雷撃により沈没
徳福丸 1919年 川崎造船所「徳福丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「徳福丸」[39]
1924年3月25日 海難により沈没(位置不明)[11]
寿福丸 1919年 川崎造船所「寿福丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「寿福丸」[39]
1929年2月 扶桑海運「寿福丸」[11]
1934年7月 満州海陸運送「満寿丸」[11]
1936年8月10日 山下汽船「満寿丸」[11]
1937年11月24日 座礁放棄。岡田組が購入[11][62]
1938年 岡田組「萬寿丸」[11]
1942年4月 岡田商船「萬寿丸」[11]
1943年6月16日 日本海軍に徴傭、一般雑用船[63]
1943年7月2日から7月21日 第3702乙船団(横須賀→トラック)[64]
1943年11月29日 第3123船団加入中、アメリカ潜水艦「パーゴ」の雷撃により沈没[11][65]
坡土蘭丸 1919年 川崎造船所「坡土蘭丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「坡土蘭丸」[66]
1933年2月7日 玉井商船「坡土蘭丸」[67]
1935年3月20日 カンガルー島沖で座礁沈没[11][67]
華盛頓丸 1919年 川崎造船所「華盛頓丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「華盛頓丸」[66]
1933年3月 原商事「第一眞盛丸」[11]
1942年2月18日 パレンバン攻略戦[50]
1942年12月21日から1943年1月20日 六号輸送第一船団(上海トラックショートランド[68]
1943年9月2日から9月7日 第八次ウェワク輸送[69]
1944年3月12日から3月19日以降 東松二号往航船団東京湾サイパン島→プルワット環礁)[70]
1944年7月26日から8月18日 ミ13船団(伊万里湾→ミリ)[71]
1944年8月19日から8月21日 ミシ07船団(ミリ→クチン[72]
1944年9月15日から9月25日 ミマ11船団(ミリ→パラワン島バキット湾)[73]
1944年10月24日 マタ30船団加入中、アメリカ潜水艦「スヌーク」の雷撃により沈没
晩香坡丸 1919年 川崎造船所「晩香坡丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「晩香坡丸」[66]
1934年 満州海陸運送「満泰丸」[11]
1936年8月10日 山下汽船「満泰丸」[11][62]
1943年9月20日から25日 臨時B船団(馬公→門司)[74]
1944年5月12日 日本海軍に徴傭、一般雑用船[63]
1944年7月17日 タマ21C船団加入中、アメリカ潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃により沈没[75]
桑港丸 1919年 川崎造船所「桑港丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「桑港丸」[39]
1937年12月6日 山下汽船「桑港丸」[42]
1942年1月20日 日本海軍に徴傭、一般雑用船[76]
1943年6月19日から6月28日 ト906船団(パラオ→佐伯)[77]
1944年1月20日から2月4日 第3120船団(横須賀→トラック)[78]
1944年2月17日 トラック島空襲で沈没
紐育丸 1919年 川崎汽船「紐育丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「紐育丸」[66]
1921年11月 海難により沈没(位置不明)[11]
りばぷうる丸 1919年 川崎汽船「りばぷうる丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「りばぷうる丸」[66]
1941年12月20日 ダバオ攻略戦[36]
1942年1月10日 タラカン島攻略戦[36]
1942年1月24日 バリクパパン上陸作戦[36]
1942年2月10日 バンジャルマシン攻略支援[50]
1942年3月1日 ジャワ島クラガン上陸作戦[50]
1943年7月4日 第172船団加入中、アメリカ潜水艦「スヌーク」の雷撃により沈没[64]
ぐらすごう丸 1919年 川崎汽船「ぐらすごう丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「ぐらすごう丸」[66]
1942年4月16日から5月1日 第三戦車団輸送(昭南→門司)[79]
1943年8月22日 ラングーン沖で雷撃により沈没[66]
新嘉坡丸 1919年 川崎汽船「新嘉坡丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「新嘉坡丸」[66]
1932年 神戸桟橋「新嘉坡丸」[11]
1942年2月18日 パレンバン攻略戦[50]
1942年 神戸桟橋「昭南丸」[11]
1944年9月9日 アメリカ潜水艦「シール」の雷撃により沈没
智利丸 1919年 川崎汽船「智利丸」[7]
1920年2月1日 国際汽船「智利丸」[66]
1933年6月19日 興運汽船「智利丸」[11]
1935年4月4日 太平洋漁業「智利丸」[11]
1936年2月6日 山下汽船「智利丸」[11]
1943年2月6日 第221船団(高雄→門司)[80]
1944年4月2日から4月9日 タモ15船団(高雄→門司)[81]
1944年6月23日から7月3日 モマ09船団・ミ09船団(門司→高雄→マニラ)[82]
1945年5月12日 壱岐島沖で爆撃を受け沈没
伯剌西爾丸 1919年 川崎汽船「伯剌西爾丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「伯剌西爾丸」[66]
1933年3月30日 小野合名「伯剌西爾丸」[11]
1941年12月21日 リンガエン湾上陸作戦[36]
1942年1月21日から1月26日 第二師団輸送(門司→馬公)[57]
1942年3月1日 ジャワ島バンタム湾上陸作戦[50]
1943年1月5日 ラエ輸送作戦(十八号作戦)[60]
1943年1月16日から1月22日 輸送船団(ラバウル→パラオ)[61]
1943年 太洋興業「伯剌西爾丸」[11]
1943年7月15日から7月24日 オ505船団(佐伯→パラオ)[58]
1943年8月24日から9月4日 フ407船団(パラオ→佐伯)[83]
1944年3月6日から3月13日 パタ04船団(パラオ→高雄)[84]
1944年4月21日から5月20日 竹一船団(上海→マニラ→ハルマヘラ島→マニラ)[85]
1944年8月17日から8月19日 カタ717船団(鹿児島那覇[86]
1944年11月30日から12月 ミ29船団(門司→台湾)[87]
1945年5月12日 神戸港内で触雷沈没
亜爾然丁丸 1919年 川崎汽船「亜爾然丁丸」[7]
1919年8月1日 国際汽船「亜爾然丁丸」[66]
1920年 大西洋で行方不明[11]
Eastern Moon 1919年 アメリカ政府 "Eastern Moon"
1932年 ボストンにて解体
Eastern Ocean 1919年 アメリカ政府 "Eastern Ocean"
1923年 Garland SS Corp.(アメリカ) "George Allen"
1927年 Calmar SS Co Inc.(アメリカ) "Pennmar"
1942年9月24日 SC-100船団加入中、U-432英語版の雷撃により沈没
Eastern Planet 1919年 アメリカ政府 "Eastern Planet"
1937年 Chandris, John D.(ギリシャ) "Jenny Chandris"
1937年11月13日 アメリカ東海岸沖にて荒天により沈没。
Eastern Dawn 1919年 アメリカ政府 "Eastern Dawn"
1932年 ボストンにて解体
Eastern Cloud 1919年 アメリカ政府 "Eastern Cloud"
1923年 Garland SS Corp. "James B. Duke"
1927年 Calmar SS Co Inc. "Massmar"
1942年7月5日 QP-13船団加入中、触雷沈没
亜丁丸 1919年 川崎汽船「亜丁丸」[8]
1920年2月1日 国際汽船「亜丁丸」[66]
1937年9月24日 山下汽船「亜丁丸」[42]
1938年7月12日 小野合名「亜丁丸」[42]
1941年12月21日 リンガエン湾上陸作戦[36]
1942年1月14日から1月18日 輸送船団(門司→高雄)[57]
1942年3月1日 ジャワ島クラガン上陸作戦[50]
1943年 太洋興業「亜丁丸」[11]
1943年8月28日から9月2日 第七次ウェワク輸送[88]
1944年1月20日から1月27日 H14船団(マニラ→ハルマヘラ島カウ)[78]
1944年5月6日 竹一船団加入中、アメリカ潜水艦「ガーナード」の雷撃により沈没[85]
ねいぷる丸 1919年 川崎汽船「ねいぷる丸」[8]
1919年8月1日 国際汽船「ねいぷる丸」[66]
1943年11月16日 大阪商船「ねいぷる丸」[89]
1943年11月20日 ラバウル近海で爆撃を受け沈没[66]
坡土西丸 1919年 川崎汽船「坡土西丸」[8]
1920年2月1日 国際汽船「坡土西丸」[66]
1933年 栃木商事「うめ丸」[11]
1943年11月1日 オ112船団加入中、アメリカ潜水艦「シーホース」の雷撃により沈没[90]
からち丸 1919年 川崎汽船「からち丸」[8]
1920年2月1日 国際汽船「からち丸」[91]
1933年4月6日 山本汽船「からち丸」[11]
1942年 山本汽船「彰山丸」[11]
1943年6月11日 日本海軍に徴傭、一般雑用船[92]
1943年6月26日 第3625船団加入中、アメリカ潜水艦「ジャック」の雷撃により沈没[93]
けいぷたうん丸 1919年 川崎汽船「けいぷたうん丸」[8]
1922年10月11日 国際汽船「けいぷたうん丸」[91]
1936年 栃木商事「みどり丸」[11]
1942年10月7日 座礁沈没
蘇格蘭丸 1919年 川崎汽船「蘇格蘭丸」[8]
1935年7月12日 小野合名「蘇格蘭丸」[11]
1936年4月7日 海難により沈没(位置不明)[11]
伊太利丸 1919年 川崎汽船「伊太利丸」[8]
1936年4月15日 玉井商船「伊太利丸」[67]
1942年12月27日 ラバウルで爆撃を受け沈没[67]
仏蘭西丸 1919年 川崎汽船「仏蘭西丸」[91]
1920年2月1日 国際汽船「仏蘭西丸」[91]
1938年 栃木商事「仏蘭西丸」[11]
1942年4月16日から5月1日 第三戦車団輸送(昭南→門司)[79]
1943年11月30日から12月7日 第2612船団(バリクパパン→パラオ)[94]
1944年2月23日から2月29日 タモ05船団(高雄→門司)[95]
1944年4月19日から4月27日 タサ17船団ほか(高雄→サンジャック[96]
1944年6月12日から6月23日 H29船団(マニラ→ハルマヘラ島ワシレ)[97]
1944年6月25日から7月1日 M25船団(ワシレ→セブ)[98]
1944年9月20日から9月26日 マサ11船団(マニラ→サンジャック)[99]
1945年1月12日 サシ40船団加入中、サンジャック近海で第38任務部隊機の爆撃により擱座放棄[100]
英蘭丸 1919年 川崎汽船「英蘭丸」[91]
1920年2月1日 国際汽船「英蘭丸」[91]
1937年12月17日 山下汽船「英蘭丸」[42]
1942年6月1日から6月8日 輸送船団(タボイ→昭南)[29]
1943年5月17日 P512船団加入中、アメリカ潜水艦「グレイバック」の雷撃により沈没[101]
西班牙丸 1919年 川崎汽船「西班牙丸」[91]
1925年5月17日 宮城県沿岸部で座礁沈没[11][91]
丁抹丸 1920年 川崎汽船「丁抹丸」[91]
1935年4月17日 白洋汽船「丁抹丸」[91]
1942年3月1日 ジャワ島クラガン上陸作戦[50]
1943年3月28日から4月5日 輸送船団(ラバウル→パラオ)[102]
1943年9月19日から9月20日 第205船団加入も、機関故障で離脱(高雄→基隆[103]
1944年1月16日 オ105船団加入中、アメリカ潜水艦「ホエール」の雷撃により沈没[104]
和蘭丸 1920年 川崎汽船「和蘭丸」[91]
1942年10月17日 細島沖でアメリカ潜水艦「トリガー」の雷撃により沈没[91]
瑞典丸 1920年 川崎汽船「瑞典丸」[91]
1928年1月10日 パンテッレリーア島で座礁沈没[11][91]
ちゃいな丸 1920年 川崎汽船「ちゃいな丸」[91]
1932年7月10日 東沙諸島で座礁[11]
1941年12月8日 グアム攻略戦[105]
1942年1月23日 ラバウル攻略戦[36]
1942年3月5日から3月13日 サラモア攻略戦[106]
1942年3月10日 アメリカ機動部隊の空襲で損傷[106]
1942年5月 ポートモレスビー作戦[106]
1943年9月7日から9月14日 第424船団(サンジャック→馬公)[107]
1943年9月19日から9月24日 第205船団(馬公→門司)[103]
1944年5月7日から5月14日 シミ02船団(昭南→ミリ)[108]
1944年7月26日から8月4日以前 ミ13船団(伊万里湾→高雄)[109]
1944年8月15日から8月25日 モタ23船団(門司→基隆)[110]
1944年9月21日 マニラで爆撃を受け沈没
諾威丸 1920年 川崎汽船「諾威丸」[91]
1944年9月21日 マニラで爆撃を受け沈没
白耳義丸 1920年 川崎造船所「白耳義丸」[8]
1928年5月 国際汽船「白耳義丸」[43]
1943年9月7日から9月14日 第424船団[107]
1943年11月16日 大阪商船「白耳義丸」[52]
1944年4月 日本陸軍に徴傭[111]
1944年4月28日から5月2日 タマ17船団[112]
1944年6月25日 アメリカ潜水艦「フライアー」の雷撃により損傷[111]
1944年9月16日 浮き防空砲台に改造[111]
1944年10月19日 マニラで爆撃を受け沈没
おはいを丸 1920年 川崎造船所「おはいを丸」[9]
1928年6月 国際汽船「おはいを丸」[43]
1932年6月 白洋汽船「おはいを丸」[11]
1942年8月5日 アメリカ潜水艦「トートグ」の雷撃により沈没
いんであ丸 1920年 川崎造船所「いんであ丸」[9]
1934年12月1日 川崎汽船「いんであ丸」[113]
1943年1月16日から1月22日 輸送船団(ラバウル→パラオ)[61]
1943年4月15日 ニューギニア島沿岸で爆撃を受け沈没
ていむす丸 1920年 川崎造船所「ていむす丸」[9]
1934年12月1日 川崎汽船「ていむす丸」[113]
1943年7月25日 第2323船団加入中、アメリカ潜水艦「ポンポン」の雷撃により沈没
おれごん丸 1920年 川崎造船所「おれごん丸」[9]
1934年12月1日 川崎汽船「おれごん丸」[113]
1942年11月17日 第726船団加入中、アメリカ潜水艦「サーモン」の雷撃により沈没
ぱしふいっく丸 1920年 川崎造船所「ぱしふいっく丸」[9]
1931年3月 国際汽船「ぱしふいっく丸」[43]
1932年7月 玉井商船「ぱしふいっく丸」[114]
1941年12月21日 リンガエン湾上陸作戦[36]
1942年1月21日から1月26日 第二師団輸送(門司→馬公)[57]
1942年3月1日 ジャワ島バンタム湾上陸作戦[50]
1943年11月19日 ソ206船団加入中、ラバウル近海で爆撃を受け損傷[115]
1944年2月23日から2月29日 タモ05船団(高雄→門司)[95]
1944年3月23日から3月30日 モタ13船団(門司→高雄)[116]
1944年5月18日から5月22日 シミ03船団(昭南→ミリ)[117]
1944年10月10日 モマ05船団に加入し、門司出港[118]
1944年10月31日 アメリカ潜水艦「ギターロ」の雷撃により沈没[119]
たいん丸 1920年 川崎造船所「たいん丸」[9]
1923年9月5日 関東大震災救援、政府米輸送[120]
1932年5月2日 山東半島山東角近海で大関汽船「吉林丸」と衝突し沈没[121]
あとらんちっく丸 1920年 川崎造船所「あとらんちっく丸」[9]
1930年9月 国際汽船「あとらんちっく丸」[43]
1935年11月 アフリカ東岸線(大阪商船の傭船)[122]
1938年10月 ボンベイ線[122]
1943年7月4日 第172船団加入中、アメリカ潜水艦「スヌーク」の雷撃により損傷、上海に曳航[123]
1943年11月16日 大阪商船「あとらんちっく丸」[52]
1943年12月11日 日本海軍に徴傭、一般雑用船[124]
1944年3月12日から3月24日 東松二号往航船団(東京湾→サイパン島→トラック)[70]
1944年3月30日 大宮島近海でアメリカ潜水艦「ピクーダ」の雷撃により沈没
びくとりあ丸 1921年 川崎造船所「びくとりあ丸」[9]
1930年9月 石原産業「びくとりあ丸」[91]
1932年 国際汽船「びくとりあ丸」[11]
1936年 荻布海商「びくとりあ丸」[11]
1940年5月30日 日産汽船「日美丸」[44]
1941年12月8日 グアム攻略戦[105]
1942年1月23日 ラバウル攻略戦[36]
1942年5月 ポートモレスビー作戦[106]
1943年12月16日から12月26日 T船団(佐伯→トラック)[125]
1943年12月30日から1944年1月18日 T船団(トラック→エニウェトク→クェゼリン→ウォッジェ→トラック)[125]
1944年2月13日から2月27日 第4212船団(トラック→横須賀)[126]
1944年3月12日から3月19日 東松二号往航船団(東京湾→サイパン島)[70]
1944年3月24日から4月1日 東松二号復航船団(トラック→横須賀)[116]
1944年6月12日から6月17日 H29船団(マニラ→サンボアンガ[97]
1944年6月20日 アメリカ潜水艦「ヘイク」の雷撃により沈没[127]

要目一覧

[編集]

川崎重工業の記録に基き、いずれも竣工時のスペックである。船体寸法については水線間長117.35メートル、全幅15.54メートル、喫水(形深)10.97メートルで、これは75隻すべて同じなので割愛した。

船名 総トン数(トン) 重量トン数(重量トン) 最大速力(ノット) 主機馬力(馬力)/缶数(基) 備考・出典
第一大福丸/Argonne 5,869 8,978 14.292 4,000/3 [1]
吉田丸 5,870 8,999 14.435 3,896/3 [1]
第三大福丸/War Queen 5,869 9,009 14.339 3,879/3 [1]
第四大福丸/War Prince 5,866 9,012 14.376 3,877/3 [5]
第八大福丸/War Admiral 5,874 9,014 14.566 3,778/3 [5]
第六大福丸/War Council 5,874 9,011 14.333 3,713/3 [5]
第九大福丸/War Wolf 5,874 9,019 14.427 3,759/3 [5]
第十大福丸/War Lion 5,874 9,018 14.333 4,051/3 [5]
第十一大福丸/War Tiger 5,874 9,022 14.335 3,841/3 [5]
第十二大福丸/War Hero 5,874 9,019 14.394 3,636/3 [5]
第十三大福丸/War Pilot 5,874 9,020 14.566 3,688/3 [5]
第十四大福丸/ぼるねお丸 5,856 9,055 14.349 3,786/3 [5]
第十五大福丸/せれべす丸 5,856 9,039 14.435 3,858/3 [5]
第十六大福丸/すまとら丸 5,856 9,022 14.275 3,832/3 [5]
第十七大福丸/神国丸 5,858 9,071 14.350 3,794/2 [5]
第十八大福丸/Eastern Queen 5,858 9,062 14.350 3,793/2 [5]
第十九大福丸/Easterner 5,858 9,071 14.350 3,794/2 [5]
第二十二大福丸/長門丸 5,900 9,057 14.362 3,798/2 [5]
第二十大福丸/Eastern Sun 5,860 9,066 14.343 3,819/2 [5]
第二十三大福丸/永福丸 5,860 9,067 14.237 3,821/2 重油専焼船に改修[5][128]
第二十一大福丸/Eastern Sea 5,859 9,028 14.211 3,664/3 [5]
第二十五大福丸/興福丸 5,859 9,100 14.039 3,933/3 重油専焼船に改修[5][128]
第二十六大福丸/East Wind 5,865 9,102 14.268 3,885/3 [5]
第二十七大福丸/East Cape 5,865 9,103 14.276 3,756/3 [5]
第二十八大福丸/Easter Ling 5,865 9,104 14.183 3,780/3 [5]
第二十九大福丸/喜福丸 5,857 9,100 14.183 3,869/3 重油専焼船に改修[5][128]
第三十一大福丸/豊福丸 5,857 9,096 14.211 3,896/3 重油専焼船に改修[5][128]
第三十大福丸/来福丸 5,857 9,081 14.390 3,776/3 [7]
盛福丸 5,857 9,098 14.183 3,796/3 [7]
東福丸 5,857 9,090 14.351 3,882/3 重油専焼船に改修[7][128]
慶福丸 5,857 9,092 14.258 4,001/3 重油専焼船に改修[7][128]
智福丸 5,857 9,105 14.350 3,912/3 重油専焼船に改修[7][128]
徳福丸 5,858 9,116 13.985 4,006/2 重油専焼船に改修[7][128]
寿福丸 5,858 9,108 14.275 3,869/2 重油専焼船に改修[7][128]
坡土蘭丸 5,865 9,108 14.128 3,947/2 重油専焼船に改修[7][128]
華盛頓丸 5,863 9,098 13.997 3,886/3 重油専焼船に改修[7][128]
晩香坡丸 5,863 9,090 14.003 3,942/3 重油専焼船に改修[7][128]
桑港丸 5,863 9,103 14.274 3,947/3 重油専焼船に改修[7][128]
紐育丸 5,863 9,092 14.313 3,850/3 [7]
りばぷうる丸 5,863 9,105 13.903 3,793/3 重油専焼船に改修[7][128]
ぐらすごう丸 5,863 9,091 14.071 3,910/3 重油専焼船に改修[7][128]
新嘉坡丸 5,859 9,105 13.971 3,855/3 重油専焼船に改修[7][128]
智利丸 5,859 9,104 13,836 3,738/3 重油専焼船に改修[7][128]
伯剌西爾丸 5,859 9,096 13.627 3,858/3 重油専焼船に改修[7][128]
亜爾然丁丸 5,859 9,096 13.750 3,952/3 [7]
Eastern Moon 5,974 8,977 14.062 3,807/3 [7]
Eastern Ocean 5,908 9,052 14.098 3,635/3 [7]
Eastern Planet 5,911 9,030 13.380 3,535/3 [7]
Eastern Dawn 5,911 9,012 14.199 3,705/3 [8]
Eastern Cloud 5,911 9,029 13.305 3,154/3 [8]
亜丁丸 5,859 9,091 13.755 3,795/3 重油専焼船に改修[8][128]
ねいぷる丸 5,859 9,093 14.228 3,990/3 重油専焼船に改修[8][128]
坡土西丸 5,859 9,093 13.627 3,579/3 重油専焼船に改修[8][128]
からち丸 5,859 9,090 13.450 3,783/3 重油専焼船に改修[8][128]
けいぷたうん丸 5,863 9,090 14.105 3,825/3 重油専焼船に改修[8][128]
蘇格蘭丸 5,863 9,094 14.181 3,978/3 重油専焼船に改修[8][128]
伊太利丸 5,858 9,090 14.052 3,737/3 重油専焼船に改修[8][128]
仏蘭西丸 5,863 9,090 13.836 3,801/3 重油専焼船に改修[8][128]
英蘭丸 5,864 9,091 14.238 3,858/3 重油専焼船に改修[8][128]
西班牙丸 5,864 9,095 14.107 3,994/3 重油専焼船に改修[8][128]
丁抹丸 5,869 9,098 14.090 4,054/3 重油専焼船に改修[8][128]
和蘭丸 5,869 9,090 14.109 3,982/3 重油専焼船に改修[8][128]
瑞典丸 5,869 9,074 13.997 3,837/3 重油専焼船に改修[8][128]
ちゃいな丸 5,832 9,072 13.997 3,837/3 重油専焼船に改修[8][128]
諾威丸 5,832 9,088 14.060 3,876/3 [8]
白耳義丸 5,872 9,082 14.070 3,904/3 重油専焼船に改修[8][128]
おはいを丸 5,872 9,088 14.189 3,926/3 重油専焼船に改修[9][128]
いんであ丸 5,872 9,074 13.904 3,828/3 重油専焼船に改修[9][128]
ていむす丸 5,872 9,084 13.397 3,800/3 重油専焼船に改修[9][128]
おれごん丸 5,872 9,037 11.680 3,828/3 [9]
ぱしふいっく丸 5,872 9,010 13.288 3,578/3 [9]
たいん丸 5,872 9,051 14.061 3,696/3 [9]
あとらんちっく丸 5,872 9,009 13.748 3,681/3 [9]
びくとりあ丸 5,872 9,009 14.121 3,810/3 [9]

機関性能そのものか公試条件にムラが多かったのか、"Eastern Cloud" は公試での機関最大馬力が3,154馬力しか出ず、「おれごん丸」の公試最大速力は11.68ノットにとどまった。なお、1923年(大正12年)4月の時点で遭難その他の理由で機会がなかった船以外は、機関が石炭専焼から重油専焼に改造されている[9]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 出典では「ある船会社」(#川重社史 p.80)。
  2. ^ のちに播磨造船所がイシャーウッド式船体構造のタンカー「橘丸」を建造した際には、播磨造船所から大阪鉄工所に使用権料を支払っているが(#播磨造船所50年史 pp.40-41)、第一大福丸型貨物船関連については参考文献中に使用権料などに関する記述が見いだせない。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k #川重社史年表諸表 pp.174-175
  2. ^ a b c d #川重社史 p.79
  3. ^ a b c #川重社史 p.80
  4. ^ #井上 p.156
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf #川重社史年表諸表 pp.176-177
  6. ^ a b c d e f g h i j k l #川造四十年史 p.54
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj #川重社史年表諸表 pp.178-179
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar #川重社史年表諸表 pp.180-181
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y #川重社史年表諸表 pp.182-183
  10. ^ a b c d e f #日本近世造船史 p.404
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp #長澤
  12. ^ #日立造船百年史 p.77
  13. ^ #井上 p.159
  14. ^ a b c #井上 p.158
  15. ^ #川重社史 p.251
  16. ^ #川崎汽船五十年史 pp.45-46
  17. ^ #川崎汽船五十年史 pp.64-70
  18. ^ #小池 pp.34-35
  19. ^ #松井 (2006) p.79
  20. ^ a b c cargo LIEUTENANT DE LA TOUR” (フランス語). French Lines. Association French Lines. 2012年12月25日閲覧。
  21. ^ a b c d e f Mount Pelion” (英語). uboat.net. uboat.net. 2012年12月25日閲覧。
  22. ^ a b cargo COMMISSAIRE PIERRE LECOQ” (フランス語). French Lines. Association French Lines. 2012年12月25日閲覧。
  23. ^ a b c d e cargo CHEF MeCANICIEN MAILHOL” (フランス語). French Lines. Association French Lines. 2012年12月25日閲覧。
  24. ^ #戦時遭難史 p.58
  25. ^ #Roscoe p.536
  26. ^ a b c d e f #野間 (2004) p.56
  27. ^ a b c #野間 (2004) p.57
  28. ^ a b c #野間 (2004) p.434
  29. ^ a b #駒宮 (1987) p.41
  30. ^ a b #野間 (2004) p.104
  31. ^ a b c d #野間 (2004) p.105
  32. ^ #妹尾 p.193,195
  33. ^ #妹尾 pp.196-197
  34. ^ #妹尾 p.193
  35. ^ #郵船戦時上 p.321
  36. ^ a b c d e f g h i j k l m n #駒宮 (1987) p.28
  37. ^ #郵船戦時上 p.317, pp.320-321
  38. ^ #駒宮 (1987) pp.83-84
  39. ^ a b c d e f g h i j k #松井 (2006) p.121
  40. ^ #松井 (2006) p.83
  41. ^ #松井 (2006) p.81,121
  42. ^ a b c d e #松井 (2006) p.81
  43. ^ a b c d e f #松井 (2006) p.123
  44. ^ a b c d #松井 (2006) p.312
  45. ^ #駒宮 (1987) p.50
  46. ^ #駒宮 (1987) p.66
  47. ^ #駒宮 (1987) p.110
  48. ^ #駒宮 (1987) p.123
  49. ^ #駒宮 (1987) p.144
  50. ^ a b c d e f g h i j #駒宮 (1987) p.29
  51. ^ #野間 (2004) p.352
  52. ^ a b c #松井 (2006) p.121,123
  53. ^ #駒宮 (1987) p.206
  54. ^ #駒宮 (1987) pp.262-263
  55. ^ #山高p.189,193
  56. ^ #中外211125
  57. ^ a b c d #駒宮 (1987) p.38
  58. ^ a b #駒宮 (1987) p.77
  59. ^ #特設原簿 p.189
  60. ^ a b #駒宮 (1987) p.33
  61. ^ a b c #駒宮 (1987) p.58
  62. ^ a b #松井 (2006) p.82
  63. ^ a b #特設原簿 p.220
  64. ^ a b #駒宮 (1987) p.74
  65. ^ #駒宮 (1987) pp.107-108
  66. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #松井 (2006) p.122
  67. ^ a b c d #松井 (2006) p.336
  68. ^ #駒宮 (1987) p.54
  69. ^ #駒宮 (1987) p.85
  70. ^ a b c #駒宮 (1987) p.150
  71. ^ #駒宮 (1987) pp.217-218
  72. ^ #駒宮 (1987) p.236
  73. ^ #駒宮 (1987) pp.257-258
  74. ^ #駒宮 (1987) pp.89-91
  75. ^ #駒宮 (1987) pp.214-215
  76. ^ #特設原簿 p.166
  77. ^ #駒宮 (1987) p.71
  78. ^ a b #駒宮 (1987) p.131
  79. ^ a b #駒宮 (1987) p.39
  80. ^ #駒宮 (1987) p.106
  81. ^ #駒宮 (1987) p.157
  82. ^ #駒宮 (1987) p.196
  83. ^ #駒宮 (1987) p.81
  84. ^ #駒宮 (1987) pp.148-149
  85. ^ a b #駒宮 (1987) pp.163-164
  86. ^ #駒宮 (1987) p.235
  87. ^ #駒宮 (1987) pp.299-300
  88. ^ #駒宮 (1987) p.83
  89. ^ #松井 (2006) pp.121-122
  90. ^ #駒宮 (1987) pp.100-101
  91. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #松井 (2006) p.97
  92. ^ #特設原簿 p.168
  93. ^ #駒宮 (1987) p.72
  94. ^ #駒宮 (1987) p.111
  95. ^ a b #駒宮 (1987) p.145
  96. ^ #駒宮 (1987) pp.161-162
  97. ^ a b #駒宮 (1987) p.193
  98. ^ #駒宮 (1987) p.198
  99. ^ #駒宮 (1987) p.263
  100. ^ #駒宮 (1987) pp.333-334
  101. ^ #駒宮 (1987) p.64
  102. ^ #駒宮 (1987) p.62
  103. ^ a b #駒宮 (1987) p.89
  104. ^ #駒宮 (1987) p.126
  105. ^ a b #駒宮 (1987) p.27
  106. ^ a b c d #駒宮 (1987) p.32
  107. ^ a b #駒宮 (1987) p.86
  108. ^ #駒宮 (1987) p.172
  109. ^ #駒宮 (1987) p.217
  110. ^ #駒宮 (1987) pp.230-231
  111. ^ a b c #野間 (2004) p.385
  112. ^ #駒宮 (1987) p.168
  113. ^ a b c #松井 (2006) p.100
  114. ^ #松井 (2006) p.336
  115. ^ #駒宮 (1987) pp.114-115
  116. ^ a b #駒宮 (1987) p.177
  117. ^ #駒宮 (1987) p.177
  118. ^ #駒宮 (1987) p.273
  119. ^ #駒宮 (1987) pp.273-275
  120. ^ #大時事230905
  121. ^ #大毎350704
  122. ^ a b #野間 (2004) p.246
  123. ^ #駒宮 (1987) pp.174-175
  124. ^ #特設原簿 p.133
  125. ^ a b #駒宮 (1987) p.116
  126. ^ #駒宮 (1987) p.140
  127. ^ #駒宮 (1987) p.195
  128. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj #大時事230426

参考文献

[編集]

サイト

[編集]

印刷物

[編集]
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030138500『自昭和十七年十一月一日至昭和十七年十一月三十日 第一海上護衛隊戦闘詳報 第八号』。 
    • Ref.C08030251000『自昭和十八年七月一日 至昭和十八年七月三十一日 第四根拠地隊司令部 第二海上護衛隊司令部戦時日誌』、33-44頁。 
  • 新聞記事文庫(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)
  • 靎見誠良「第一次大戦期重化学工業化と「新興」財閥の資金調達機構」『経済志林』第42巻第3号、法政大学経済学部学会、1974年11月、115-157頁。 
    • 「つる」は「雨かんむりに金鳥」
  • 第一次大戦前後の日本造船業(4) [四]貨物船建造市場の定着性について” (PDF). 高崎経済大学論集 創立50周年記念号. 小池重喜 (2007年). 2012年12月25日閲覧。
  • 造船協会(編)『復刻版 日本近世造船史(大正時代)』成瀬恭/原書房、1973年(原著1935年)。ISBN 4-562-00299-9 
  • 阿部市助(編)『川崎造船所四十年史』川崎造船所、1936年。 
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3 
  • 妹尾正彦『日本商船隊の崩壊』財団法人損害保険事業研究所、1949年。 
  • 川崎重工業(編)『川崎重工業株式会社社史』川崎重工業、1959年。 
  • 川崎重工業(編)『川崎重工業株式会社社史 年表・諸表』川崎重工業、1959年。 
  • 播磨造船所(編)『播磨造船所50年史』播磨造船所、1960年。 
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6 
  • 岡田俊雄(編)『大阪商船株式会社八十年史』大阪商船三井船舶、1966年。 
  • 川崎汽船株式会社(編)『川崎汽船五十年史』川崎汽船、1969年。 
  • 日本郵船戦時船史編纂委員会『日本郵船戦時船史』 上、日本郵船、1971年。 
  • 山高五郎『図説 日の丸船隊史話(図説日本海事史話叢書4)』至誠堂、1981年。 
  • 日立造船(編)『日立造船百年史』日立造船、1985年。 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 財団法人日本経営史研究所(編)『日本郵船株式会社百年史』日本郵船、1988年。 
  • 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年。ISBN 4-257-17218-5 
  • 井上洋一郎『日本近代造船業の展開』ミネルヴァ書房、1990年。ISBN 4-623-02027-4 
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。 
  • 正岡勝直「日本海軍特設艦船正史」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、6-91頁。 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、92-240頁。 
  • 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年。ISBN 4-303-12330-7 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]