第六十一号駆潜艇
第六十一号駆潜艇 | |
---|---|
公試のため出動する第六十一号駆潜艇 (1944年5月、新潟沖) | |
基本情報 | |
建造所 | 新潟鐵工所新潟工場 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 駆潜艇 |
級名 | 第六十号型駆潜艇[注釈 1] |
建造費 | 2,918,000円[注釈 2] |
艦歴 | |
計画 | 改⑤計画 |
起工 | 1943年10月30日 |
進水 | 1944年3月10日 |
竣工 | 1944年5月8日 |
最期 | 1945年1月9日被爆沈没 |
除籍 | 1945年3月10日 |
要目(計画時) | |
基準排水量 | 420トン |
全長 | 51.00m |
水線長 | 49.0m |
垂線間長 | 46.5m |
最大幅 | 6.70m |
吃水 | 2.63m |
機関 | 艦本式23号乙8型ディーゼル2基 |
推進 | 2軸 |
出力 | 1,700bhp |
速力 | 16.0ノット |
燃料 | 重油16トン |
航続距離 | 14ノットで2,000カイリ |
乗員 | 竣工時定員73名 |
兵装 | 40口径8cm高角砲 単装1基 25mm機銃 単装3基 13mm機銃 連装1基 九四式爆雷投射機2基 爆雷36個 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 22号電探1基 |
ソナー | 九三式水中聴音機1基 九三式水中探信儀1基 |
第六十一号駆潜艇[注釈 3](だいろくじゅういちごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第28号型の33番艇、あるいは第60号型の2番艇とされているが、法令上は第13号型の48番艇[注釈 4]。
艇歴
[編集]改⑤計画の駆潜艇、第5341号艦型の2番艇、仮称艦名第5342号艦として計画。1943年10月30日、新潟鐵工所新潟工場で起工。12月22日、第六十一号駆潜艇と命名されて第十四号型駆潜艇の43番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。
1944年3月10日進水。4月18日、艤装員事務所が新潟鐵工所新潟工場内で事務を開始。5月8日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に、役務を佐世保鎮守府警備駆潜艇にそれぞれ定められる。同日付で呉防備戦隊に編入され、基礎術力練成教育に従事。
6月6日、高雄警備府に編入。6月7日、ヒ67船団(12隻)に同行して門司発。以後、高雄を基点として対潜掃蕩、哨戒、高雄を出発する船団の護衛に従事。
7月23日、マニラで再編成されたミ08船団(12隻)を高雄まで護衛。
9月1日現在、軍隊区分高雄方面防備部隊に配置。23日、軍隊区分呂宋海峡部隊哨戒部隊第一哨戒隊に配置。25日、対潜掃蕩のため高雄を出撃。29日、高雄に帰投[1]。
10月1日、軍隊区分呂宋海峡部隊哨戒部隊第二哨戒隊に配置。同哨戒隊の指揮を第61号駆潜艇長が執る。同日、タマ29船団護衛のため高雄発。7日、タマ29船団の護衛を第6号海防艦と第16号海防艦に引継ぎ、本艇は対潜掃蕩を行いつつ高雄へ向け回航。8日、ラボック湾に在泊する元マタ28船団の3隻を高雄まで護衛するため、高雄回航を取りやめラボック湾へ向かう。15日、船団護衛を取りやめ第二遊撃部隊の前路掃蕩に従事。18日、一旦馬公に入港し、19日から再度前路掃蕩に従事。26日、高雄に帰投し、モマ05船団の遭難者を救助するため同日高雄発。30日、高雄に帰投[2]。
11月5日、海軍徴傭船あとらす丸から載貨を移載する目的で海軍配当船昭永丸が派遣されることとなり、本艇は第83号駆潜特務艇とともに昭永丸を護衛してサブタン島へ向かう。7日、本艇は第74号駆潜特務艇と交替し、8日左営着。9日、青葉の前路掃蕩のため出撃。10日、台風のため馬公に避泊。16日、タモ29船団(5隻)を護衛し高雄発。24日、門司着。25日佐世保へ回航し、佐世保海軍工廠で修理と訓令による工事を行う[3]。12月20日現在、佐世保に所在[4]。
1945年1月9日、台湾海口泊地でアメリカ艦上機の攻撃を受け、被爆し沈没した。3月10日、第六十一号駆潜艇は第十四号型駆潜艇から削除され、佐世保鎮守府警備駆潜艇の役務を解かれて、帝国駆潜艇籍から除かれた。
駆潜艇長
[編集]- 艤装員長
- 別府秀夫 大尉:1944年4月10日 - 1944年5月8日
- 駆潜艇長
- 別府秀夫 大尉:1944年8月8日 - 1945年1月9日 戦死、同日付任海軍少佐
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 法令上は第十三号型(第十四号型)。
- ^ 価格は第81回帝国議会で成立したもので、基本計画番号K8Cの価格ではない。
- ^ 本来の艇名表記は第六十一號驅潛艇。
- ^ 本艇が艦艇類別等級別表に登載された1943年12月22日時点で第13号駆潜艇、第25号駆潜艇、第27号駆潜艇の3隻が除籍済み、第56号駆潜艇と第57号駆潜艇の2隻が艦艇類別等級別表未登載のため、1943年12月22日時点で法令上は第十四号型の43番艇である。これら5隻を含めた場合、本艇は第十三号型の通算48番艇となる。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省
- 昭和15年11月15日付 内令第841号。
- 昭和18年12月22日付 達第319号、内令第2776号、内令第2778号、内令第2780号。
- 昭和19年5月8日付 内令第641号、内令員第794号ノ2、内令員第794号ノ3。
- 昭和20年3月10日付 内令第209号、内令第227号、内令第228号、内令員第478号、内令員第479号。
- 呉防備戦隊戦時日誌。
- 第一海上護衛隊戦時日誌。
- 第十八戦隊(呂宋海峡部隊)戦時日誌。
- 昭和19年4月10日付 海軍辞令公報(部内限)第1417号。
- 昭和19年5月11日付 海軍辞令公報(部内限)第1468号。
- 昭和20年11月12日付 海軍辞令公報 甲 第1979号。
- 昭和19年5月1日付 海軍公報(部内限)第4677号。
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書、第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。