笹島穣

笹島 穣(ささじま みのる、1920年 - 2008年4月11日)は、陸上自衛隊の隊員で、日本に初めてスポーツ・スカイダビングを導入した人物である[1][2]1969年に日本落下傘スポーツ連盟を設立し、その理事長も務めた[2]

来歴

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スカイダイビング

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日本への導入経緯

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1959年から1960年にかけて、アメリカ陸軍の砲兵学校へ留学した[1]。そのときに、スカイスポーツとしてのスカイダイビングを初めて見学する[1]。日本に帰国後、空挺教育の研究課に配属[1]。アメリカ空軍の立川基地にスカイダイビング・クラブが存在することを知り、そこで自衛隊員の有志と一緒にレクチャーをうけた[1]。アメリカ軍のスカイダイビング・クラブ側もこれを受け入れ、中古のパラシュートを提供するなどした[1]

当初はなかなか理解が得られなかったが[注釈 1]、徐々にスカイダインビングの知名度もあがった。1961年、インペリアル・スポーツ・パラシュートクラブを立ち上げ、会長に就任[2]1962年アメリカで開催された第6回世界選手権に個人代表選手として初参加した[2]

1969年に日本落下傘スポーツ連盟を設立[2]1970年ユーゴスラビアで開かれた第10回世界選手権大会に、団体チームとして初めて出場し、チーム団長を務めた[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「自衛隊員からも『飛行機から飛び降りる落下傘部隊はキチガイだ、まして落下傘を開かずに降りるなんて、二重丸のキチガイだ』と言われた」(原文ママ)と回想している[1]

出典

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参考文献

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  • 浅見俊雄、宮下充正、渡辺融 編『現代体育スポーツ大系』 28巻、講談社、1984年。ISBN 4-06-187328-8 
  • 笹島穣 (1972-08). “パラシュートにたくす夢”. 航空情報 (酣燈社) 304: 111. ISSN 04506669. 
  • 笹島穣 (1976-09). “スカイダイビング”. 航空情報 臨時増刊 スカイスポーツ (酣燈社) 364: 111. ISSN 04506669.