紀元前576年
世紀 | 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀 |
---|---|
十年紀 | 前590年代 前580年代 前570年代 前560年代 前550年代 |
年 | 前579年 前578年 前577年 紀元前576年 前575年 前574年 前573年 |
紀元前576年(きげんぜん576ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元178年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前576年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
[編集]できごと
[編集]中国
[編集]- 晋の厲公・魯の成公・衛の献公・鄭の成公・曹の成公・宋の世子成・斉の国佐らが戚で会合し同盟した。
- 晋が曹の成公を捕らえて、洛陽に送った。
- 楚が鄭に侵入して暴隧にいたり、衛に侵入して首止に及んだ。
- 鄭の子罕(公子喜)が楚に侵入して新石を奪った。
- 宋の蕩沢(子山)が公子肥を殺害した。華元が晋に亡命した。魚石がこれを引き止め、蕩沢処断の要求を魚石が認めると、華元は帰国した。宋の華喜と公孫師が蕩氏を攻め、蕩沢を殺害した。魚石は楚に亡命した。
- 晋の士燮・斉の高無咎・魯の叔孫僑如・宋の華元・衛の孫林父、鄭の公子鰌らが呉と鍾離で会合した。
- 許が葉に国を遷した。