紫雲寺村
しうんじむら 紫雲寺村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年3月31日 |
廃止理由 | 新設合併 紫雲寺村、松塚村(一部) → 紫雲寺町 |
現在の自治体 | 新発田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 北蒲原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 松塚村、築地村、加治村、聖籠村、亀代村 |
紫雲寺村役場 | |
所在地 | 新潟県北蒲原郡紫雲寺村大字稲荷岡[1] |
座標 | 北緯38度00分48秒 東経139度19分18秒 / 北緯38.01347度 東経139.32156度座標: 北緯38度00分48秒 東経139度19分18秒 / 北緯38.01347度 東経139.32156度 |
ウィキプロジェクト |
紫雲寺村(しうんじむら)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった村。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い北蒲原郡稲荷岡新田、米子新田、宮吉新田、小川新田、真野代新田、長島新田、中野新田、長者館新田、関井新田、下中沢新田、福岡新田、富島新田、古田新田、真中新田、真野原外新田、真野原新田、二ツ山新田、人橋新田、元郷新田が合併し、紫雲寺村が発足。村役場は稲荷岡新田に設置[2]。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 北蒲原郡大島村と合併し紫雲寺村を新設。村役場は引き続き稲荷岡新田に設置[3]。
- 1955年(昭和30年)
- 3月25日 - 北蒲原郡築地村の一部を編入。
- 3月31日 - 北蒲原郡松塚村の大字藤塚浜と合併し、町制施行し紫雲寺町となり消滅。
学校
[編集]小学校
[編集]- 紫雲寺村立紫雲寺小学校
- 大島分校
- 紫雲寺村立米子小学校
中学校
[編集]- 紫雲寺村立紫雲寺中学校
経済
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、紫雲寺村の篤農家は「竹前宗次郎、中野留吉、横木藤一郎、風間富吉、間藤宗作、佐々木藤蔵」などである[4]。
医療
[編集]- 医師
- 日水徳松[5]
脚注
[編集]- ^ 全國市町村便攬 六版、p.271
- ^ 新潟県市町村区域及改称市町村名一覧表、p.6
- ^ 新潟県市町村便覧、p.9
- ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、506 - 507頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。
- ^ 『大日本医師名簿』高崎雅雄 編、光明社、1925年、166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『新潟県市町村区域及改称市町村名一覧表』関井常弥、1889年3月25日。
- 『新潟県市町村便覧』擁天堂、1902年6月15日。
- 『全國市町村便攬 六版』全國教育圖書、1949年9月5日。