織田信為

 
織田信為
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛文6年10月9日1666年11月5日
別名 津田信為、通称:又十郎
官位 伊予守
主君 織田高長
大和宇陀松山藩
氏族 織田氏(信雄流)
父母 父:織田信雄、母:津田氏娘
兄弟 秀雄小姫重雄、於加爾、高雄
佐々一義室、信良高長信為良雄長雄、玉雄院、生駒政勝室、生駒直勝
津田尚定津田勝尚津田為重
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織田 信為(おだ のぶため)は、江戸時代前期の大和国宇陀松山藩士。別名は津田信為。通称は又十郎、伊予守。

略歴

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織田信雄の六男として誕生した。生母は津田氏。

津田姓を名乗る。元々は岩清水寺の住職であったという。寛文6年(1666年)10月9日死去。

長男の津田尚定、次男の津田(谷山)勝尚、三男の津田為重は、いずれも宇陀松山藩織田家に仕えた。