荻原利次

荻原 利次
出生名 田中 利次[1]
(たなか としつぐ)
生誕 (1910-06-06) 1910年6月6日
出身地 日本の旗 日本 大阪府
死没 (1992-06-14) 1992年6月14日(82歳没)
学歴 日本大学国文科中退[1]
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

荻原 利次(おぎはら としつぐ、1910年6月6日 - 1992年6月14日[1])は、日本作曲家である。

経歴

[編集]

大阪府に生まれる。15歳よりヴァイオリン辻吉之助に学び、1929年(昭和4年)兵庫県甲陽中学校卒業後、日本大学国文科に籍を置くも、1933年(昭和8年)12月には中途退学した。1931年(昭和6年)から1932年(昭和7年)の間松平頼則についてピアノおよび作曲法を学び、1932年(昭和7年)自作室内楽発表会を開催後、1934年(昭和9年)には石田一郎落合朝彦と共に独立作曲科協会を設立し、2回の発表会を行う。

1936年(昭和11年)、日本現代作曲家連盟に入会し、同年11月に上海に渡航してアレクサンドル・チェレプニンに師事して約4ヶ月間作曲法を学び、1942年(昭和17年)まで教示を受けた。1938年(昭和13年)、「日本組曲」が日本放送協会懸賞募集に入選。1942年(昭和17年)4月応召、4年間中国戦線に従軍、戦後1946年(昭和21年)に復員した。

戦後は清瀬保二早坂文雄、松平頼則らと新作曲派協会の設立に関わる。作風はフランス近代音楽の影響を受けたもので、叙情的な感覚とモダンな風趣を併せ持ったものとされる。

代表作には、「三つの世界」、「演奏会用日本舞曲」、「二つの舞曲」、交響詩「早春の広場」等がある。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 細川周平片山杜秀 監修「荻原 利次」『日本の作曲家 近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年、159-160頁。ISBN 978-4-8169-2119-3 

関連項目

[編集]