部埼灯台

部埼灯台
部埼灯台(2017年9月)
部埼灯台(2017年9月)
後方は部埼潮流信号所の電光掲示板
部埼灯台の位置(福岡県内)
部埼灯台
部埼灯台の位置(日本内)
部埼灯台
航路標識番号
[国際標識番号]
5409 [M5312]
位置 北緯33度57分33.7秒 東経131度01分22.4秒 / 北緯33.959361度 東経131.022889度 / 33.959361; 131.022889座標: 北緯33度57分33.7秒 東経131度01分22.4秒 / 北緯33.959361度 東経131.022889度 / 33.959361; 131.022889
所在地 福岡県北九州市門司区大字白野江
塗色・構造 白色 塔形 石造(花崗岩
レンズ 第3等小型フレネル
灯質 連成不動単閃白光 毎15秒に1閃光
実効光度 閃光180,000cd
不動光7,000 cd
光達距離 閃光17海里(約32km)
不動光10海里(約18km)
明弧 全度
塔高 9.7 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 39.1 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1871年明治5年)1月22日
管轄 海上保安庁
第七管区海上保安本部
門司海上保安部
テンプレートを表示
部埼灯台の下、海沿いに建つ僧清虚像(2017年9月)

部埼灯台(へさきとうだい)は、福岡県北九州市門司区企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した小高い丘の部埼に立つ、石造の大型灯台

隣接して早鞆瀬戸の潮流を表示する部埼潮流信号所がある[1]

概要

[編集]

大政奉還により江戸幕府最後の年となった慶応3年4月[2]1867年)、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束した五カ所の灯台の一つ[3]。明治新政府が事業を引き継ぎ、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1872年関門海峡の東・周防灘口の九州側の位置に建設されたもの[4]。現在、関門航路及び門司港の東南端となっている。

この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台で、日本の灯台50選にも選ばれている。2020年に国の重要文化財に指定された[5][6]

2016年10月3日より、登り口の石段が一部崩落し灯台周辺は立入禁止となっていた[7]。のち、復旧工事が完了し、12月27日をもって立入禁止は解除された。

国の重要文化財に指定されているが、2024年4月に灯台上部のガラスの破損が発見され、周辺に石が散乱していたことなどから、警察では文化財保護法違反の疑いで捜査している[8]


歴史

[編集]
  • 1871年明治3年12月[2])に着工。
  • 1872年明治5年1月22日[2])に石油灯で初点灯した。
  • 1895年(明治28年)にフランスから輸入した回転式のレンズに改められる。
  • 1981年(昭和56年)10月から無人化される。
  • 1998年(平成10年)に第50回灯台記念日の行事として行われた「あなたが選ぶ日本の灯台50選」に選ばれる。
  • 2020年 国の重要文化財に指定[5][6]

収録海図

[編集]
海図番号 図名 縮尺 図積
W127 関門海峡東口及付近 50,000
W135 関門海峡 25,000
W1262 関門港東部 15,000

文化財

[編集]

以下の物件が国の重要文化財に指定されている[6]

  • 部埼灯台 2基1棟
    • 灯台 1基
    • 旧官舎 1棟
    • 旧昼間潮流信号機 1基
    • 附 旧日時計 1基
    • 附 石垣2基

脚注

[編集]
  1. ^ お知らせ(海上保安友の会七管支部事務局) 国立国会図書館、2024年5月16日閲覧。
  2. ^ a b c グレゴリオ暦への改暦前の太陰太陽暦天保暦の日付
  3. ^ 灯台#大坂条約の灯台一覧を参照
  4. ^ 同じ大阪条約により北の日本海響灘口に建設されたのが六連島灯台(むつれしま-)
  5. ^ a b 国宝・重要文化財(建造物)の指定について”. 文化庁. 2020年10月18日閲覧。
  6. ^ a b c 令和2年12月23日文部科学省告示第140号
  7. ^ 部埼灯台敷地への立入禁止について 門司海上保安部 交通課 平成28年10月3日
  8. ^ 北九州 重要文化財「部埼灯台」のガラス複数割られ捜査 NHK、2024年5月16日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]