酒井直寛

 
酒井直寛
時代 江戸時代
生誕 安永7年(1778年
死没 天保元年7月4日1830年8月21日
別名 確之進、弾正、和卿、東園
墓所 山形県鶴岡市家中新町 大督寺
幕府 江戸幕府
主君 酒井忠器
出羽庄内藩組頭
氏族 酒井氏
父母 父:酒井了知、養父:酒井直豊
兄弟 了安松平久中直寛烟林
直方直鳳
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酒井 直寛(さかい なおひろ)は、江戸時代の武士。出羽庄内藩亀ヶ崎城代。酒井奥之助家第7代。

経歴

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安永7年(1778年)、出羽庄内藩家老酒井了知の三男として生まれる。寛政11年(1799年)1月、亀ヶ崎城代酒井直豊の養子となる。文化2年(1805年)、養父直豊の死去により、家督と知行1200石を相続する。

文化8年(1811年)7月、亀ヶ崎城代となる。文化10年(1813年)2月、城代を辞任。

文政12年(1829年)、藩主世子忠発の学習のため「詩書文考」を編纂し提出した。

文政13年(1830年)2月、隠居して家督を嫡男直方に譲る。天保元年(1830年)7月4日死去。享年53。

参考文献

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  • 『荘内人名辞書』
  • 『新編庄内人名辞典』