鎮台

鎮台(ちんだい[1]旧字体鎭臺[2])は、

  1. 1868年慶応4年1月)から戊辰戦争の経過によって新政府が大和[3] [4]大坂[5] [6]兵庫[7] [6]佐渡[注釈 1]の地方に鎮撫総督として置いたもので[9]、鎮台は内国事務総督が督すとしていた[10] [11]。大和鎮台(やまとちんだい[12])は翌月に廃止して大和鎮撫総督(やまとちんぶそうとく[12])に改め[13] [14]、また大坂鎮台・兵庫鎮台(ひょうごちんだい[15])なども裁判所と改めた[16] [17] [8]
  2. 1868年(慶応4年5月)の上野戦争の後、新政府が既に設置していた江戸府とは別に江戸に置いたもの[18] [19] [20] [注釈 2]。同年7月8日(5月19日)に東征大総督有栖川宮熾仁親王を江戸鎮台(えどちんだい[22])とし[18] [19] [20]、翌日にその役所を江戸城西の丸に設けて[23]これを鎮台府(ちんだいふ[1])と称し[24]駿河以東13かを管轄した[注釈 3]。同年(7月)に鎮将府(ちんしょうふ[1])と改めた[27] [28] [29] [注釈 4]。これが鎮台の権輿になる[9]
  3. 1871年明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。本項では主にこの鎮台について記述する。

概要

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略史

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旧暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使用された。

歴史

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明治新政府の重要な課題として、近代の中央集権制度にもとづく兵力軍備の統制と編成があった。そのさい全国統一的な常備軍の編成にさいして幕藩体制下での藩兵・旧武士団の解体、および新たな編成の手続きが課題であった[39]。最初の画期は1871年2月に正式に編成された御親兵であり、鹿児島・山口・高知からなる御親兵の編成費用は宮内省の定額金を割いて兵部省に下付され成立した。一方で地方では旧来の藩が兵力を確保・統括しており、地方の兵力運用に際しては特定近隣の藩に兵力を派遣(出張)させるよう通達を出しており、その派遣費用は藩費で負担させるという兵力編成の思想でなされていた。1871年4月に出された東山道と西海道の二鎮台設置の布告はこのようなものであり、当初は鎮台の内部組織や指揮統括関係など規定されず、出先機関の性格が強く兵力編成の統一性や鎮台自体の常設化の計画もみられなかった[40]

まず、太政官が将来全国に鎮台を置くことを明らかにした上で、1871年6月10日明治4年4月23日)に現在の東北地方東山道鎮台(本営石巻、分営福島盛岡)、現在の九州地方西海道鎮台(本営小倉、分営博多日田)の2鎮台を設置することを布告した[32] [9]。しかし、実際に部隊編成を行ったのは西海道鎮台のみであった[32]。同年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により全国が明治政府の直轄となったが、同時に兵部省職員令が出され、北海道・石巻・東京・大阪・小倉の5鎮台制の構想が示された[32] [41]。しかし、他の地方と比べ人口が極端に少ない北海道では鎮台の設置が後回しとなった。結果、同年10月4日(明治4年8月20日)に旧2鎮台を廃止し、東北鎮台仙台)、東京鎮台大阪鎮台鎮西鎮台熊本)の4鎮台が設置された[32] [9]。このときの鎮台は、御親兵から転じた者と、士族からの志願者で編成された。残る各藩常備兵は武装解除されることになる[32]

1873年に2つの鎮台が増設され、北海道を除く地域を、6軍管、14師管に分けた[9]。軍管には鎮台、師管には営所が置かれた[9]。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から北陸地方名古屋鎮台に、中国・四国地方広島鎮台にそれぞれ移管された[9]。また、東北鎮台仙台鎮台に、鎮西鎮台熊本鎮台にと、都市名を冠する名に改めた[9]。北海道には鎮台がなく、かわりに屯田兵が置かれた。

1873年徴兵令施行とともに、徴集された兵士が鎮台に入隊するようになった。この徴兵に対し、従来からの士族志願者の兵を壮兵と呼んで区別した。壮兵の比率はしだいに低下したが、鎮台の定員充足は容易ではなく、士族中心の軍隊から急激に変化したわけではない。鎮台時代最大の戦争だった西南戦争では、正規の鎮台兵に加えて近衛兵屯田兵警視隊、追加募集の兵が士族出身兵として加わり、あわせて士族が官軍将兵の半数を占めた。

明治6年7月当時の軍管・営所(歩兵連隊は翌年以降に編成)
軍管・鎮台 営所 歩兵連隊
第1軍管東京鎮台 東京 歩兵第1連隊
佐倉 歩兵第2連隊
新潟 歩兵第3連隊
第2軍管仙台鎮台 仙台 歩兵第4連隊
青森 歩兵第5連隊
第3軍管名古屋鎮台 名古屋 歩兵第6連隊
金沢 歩兵第7連隊
第4軍管大阪鎮台 大阪 歩兵第8連隊
大津 歩兵第9連隊
姫路 歩兵第10連隊
第5軍管広島鎮台 広島 歩兵第11連隊
丸亀 歩兵第12連隊
第6軍管熊本鎮台 熊本 歩兵第13連隊
小倉 歩兵第14連隊


戦時の役割
  • 明治11年12月10日
    • 監軍部長(東部・中部・西部) - 戦時には師団司令長官。
    • 鎮台司令長官 - 戦時には旅団司令長官。
  • 明治18年5月18日
    • 監軍部長 - 軍団長
    • 鎮台司令官 - 師団長。
  • 明治19年
    • 監軍が廃止される。
明治21年5月師団に改組
鎮台 → 師団 歩兵旅団 衛戍地 歩兵連隊 衛戍地
東京鎮台

第1師団
第1師管
歩兵第1旅団 東京 歩兵第1連隊 東京
歩兵第15連隊 高崎
歩兵第2旅団 佐倉 歩兵第2連隊 佐倉
歩兵第3連隊 東京
仙台鎮台

第2師団
第2師管
歩兵第3旅団 仙台 歩兵第4連隊 仙台
歩兵第16連隊 新発田
歩兵第4旅団 青森 歩兵第5連隊 青森
歩兵第17連隊 仙台
名古屋鎮台

第3師団
第3師管
歩兵第5旅団 名古屋 歩兵第6連隊 名古屋
歩兵第18連隊 豊橋
歩兵第6旅団 金沢 歩兵第7連隊 金沢
歩兵第19連隊 名古屋
大阪鎮台

第4師団
第4師管
歩兵第7旅団 大阪 歩兵第8連隊 大阪
歩兵第9連隊 大津
歩兵第8旅団 姫路 歩兵第10連隊 姫路
歩兵第20連隊 大阪
広島鎮台

第5師団
第5師管
歩兵第9旅団 広島 歩兵第11連隊 広島
歩兵第21連隊 広島
歩兵第10旅団 松山 歩兵第12連隊 丸亀
歩兵第22連隊 松山
熊本鎮台

第6師団
第6師管
歩兵第11旅団 熊本 歩兵第13連隊 熊本
歩兵第23連隊 熊本
歩兵第12旅団 小倉 歩兵第14連隊 小倉
歩兵第24連隊 福岡

脚注

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注釈

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  1. ^ 『太政類典』に引用されている毛利元敏の家記によると、1868年(慶応4年4月)に毛利元敏にその藩兵隊200人を佐渡鎮台に随従させるように命じている[8]
  2. ^ 『太政類典』に掲載されている『大蔵省沿革誌』の引用によると、上野戦争で敗走した彰義隊が関東各地に潜伏したことから「鎮台ヲ置キ以テ物情ヲ鎮ス」とした[21]
  3. ^ 駿河、甲斐伊豆相模武蔵安房上総下総常陸上野下野陸奥出羽の13か国が鎮台支配とされた[25] [26]
  4. ^ 1868年6月1日(慶応4年4月10日)に三条実美に関東監察使を命じて関東に下向させ[30]、同年7月14日(5月24日)に三条実美に輔相兼関八州鎮将を命じている[31]

出典

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  1. ^ a b c 国立国会図書館 2007, p. 214.
  2. ^ 大蔵省印刷局『鎭臺條例改正』日本マイクロ写真、東京、1885年5月18日。doi:10.11501/2943769https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/29437692020年12月12日閲覧 
  3. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第46 大和鎮台ヲ置ク(正月21日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、22頁。NDLJP:787948/60 
  4. ^ 「久我通久ヲ大和国鎮台ニ任ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070249900、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第三十一巻・官規・任免七(国立公文書館)
  5. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第47 大阪鎮台ヲ置ク(正月22日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、22頁。NDLJP:787948/60 
  6. ^ a b 「鎮台ヲ大坂及ヒ兵庫ニ置キ醍醐忠順外二名ヲシテ之ヲ督セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.JACAR:A15070197000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第二十六巻・官規・任免二(国立公文書館)
  7. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第48 兵庫鎮台ヲ置ク(正月22日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、22頁。NDLJP:787948/60 
  8. ^ a b 「佐渡裁判所ヲ置キ府中藩兵之ニ属ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070488400、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「単行書・大政紀要・下編・第六十五巻・官職八・陸軍武官」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A04017112800、単行書・大政紀要・下編・第六十五巻・官職八・陸軍武官(国立公文書館)(第59画像目から第62画像目まで、第96画像目)
  10. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第36 三職分課職制ヲ定ム(正月17日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、15頁。NDLJP:787948/56 
  11. ^ 「三職ヲ八課ニ分ツ」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070093300、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)(第2画像目)
  12. ^ a b 国立国会図書館 2007, p. 300.
  13. ^ 「大和鎮台ヲ置キ尋テ廃ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070483100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  14. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第68 大和鎮撫総督ヲ置ク(2月1日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、26頁。NDLJP:787948/62 
  15. ^ 国立国会図書館 2007, p. 261.
  16. ^ 「大阪鎮台ヲ置キ尋テ裁判所ト為ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070482800、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  17. ^ 「兵庫鎮台ヲ置キ尋テ裁判所ト為ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070483000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六十二巻・地方・行政区一(国立公文書館)
  18. ^ a b 内閣官報局 編「明治元年 第402 江戸鎮台ヲ置キ三奉行ヲ廃シ社寺市政民政ノ三裁判所ヲ設ケ職員ヲ定ム 付:参照 士分乱妨之者市政裁判所ニ取締ノ儀伺ニ指令(5月19日)(布)(大総督府)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、160頁。NDLJP:787948/133 
  19. ^ a b 「江戸鎮台ヲ置ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070104000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十六巻・官制・文官職制二(国立公文書館)
  20. ^ a b 「有栖川熾仁親王ヲ江戸鎮台ニ拝ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070253600、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第三十一巻・官規・任免七(国立公文書館)
  21. ^ 「江戸鎮台官員ヲ置ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070104500、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十六巻・官制・文官職制二(国立公文書館)
  22. ^ 国立国会図書館 2007, p. 19.
  23. ^ 「江戸鎮台ノ衙門ヲ西城ニ設ク」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070179200、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第二十四巻・官制・官庁制置二(国立公文書館)
  24. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第559 大総督宮鎮台ヲ免シ鎮台府ノ称ヲ廃ス(7月)(鎮将府)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、224−225頁。NDLJP:787948/163 
  25. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第514 江戸鎮台府管轄諸国ヲ定ム(6月28日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、205頁。NDLJP:787948/153 
  26. ^ 「江戸鎮台府管轄国ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070104700、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十六巻・官制・文官職制二(国立公文書館)
  27. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第558 鎮将府及東京府ヲ置キ職制ヲ定ム 付:参照 東京府知事附属ヲ藩々ヨリ人撰セシム(7月17日)(布)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、223−224頁。NDLJP:787948/162 
  28. ^ 「鎮将府職制ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070104800、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十六巻・官制・文官職制二(国立公文書館)
  29. ^ 「有栖川熾仁親王ノ鎮台ヲ罷メ三条実美ヲ以テ鎮将ニ拝ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070256900、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第三十一巻・官規・任免七(国立公文書館)
  30. ^ 内閣官報局 編「明治元年 第300 三条大納言ヲ以テ関東監察使ト為シ処置ヲ委任ス(閏4月10日)」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1912年、119頁。NDLJP:787948/110 
  31. ^ 「三条右大臣以下ニ鎮将等ノ諸職ヲ命免ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070254000、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第三十一巻・官規・任免七(国立公文書館)
  32. ^ a b c d e f g h 『新修 大津市史』5 近代 第1章 近代大津の出発京都大学人文科学研究所元教授 古屋哲夫著 1982年7月)
  33. ^ 国立国会図書館 2007, p. 124.
  34. ^ 国立国会図書館 2007, p. 129.
  35. ^ 「兵部大輔山県有朋外二名兵備将来ノ目途上言」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022944600、公文別録・諸建白書・明治三年~明治六年・第一巻・明治三年~明治六年(国立公文書館)(第3画像目)
  36. ^ 「第9号壬申4月7、8、9、10、11、12、13日」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08010380100、明治5年 陸軍省日誌 乾 乾丙 第1号従2月同年第15号至5月(防衛省防衛研究所)(第2画像目)
  37. ^ 国立国会図書館 2007, p. 317.
  38. ^ 「六管鎮台表 明治6年1月9日」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12121220400、陸軍(官等・職官・諸隊編制)表 明治1年~13年(防衛省防衛研究所)
  39. ^ 遠藤芳信「日露戦争前における戦時編制と陸軍動員計画思想(1) : 鎮台編制下の過度期的兵員併用・供給構造の成立」『北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編』第54巻第2号、北海道教育大学、2004年2月、67-81頁、ISSN 1344-2562NAID 110000080351 
  40. ^ 遠藤芳信 2004, p. 69.
  41. ^ 内閣官報局 編「兵部省第57 兵部省職員令、官位相当表、兵部省陸軍部内条例書(7月)」『法令全書』 明治4年、内閣官報局、東京、1912年、714頁。NDLJP:787951/394 

参考文献

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  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 国立国会図書館 (2007年1月). “ヨミガナ辞書” (PDF). 日本法令索引〔明治前期編〕. ヨミガナ辞書. 国立国会図書館. 2023年1月9日閲覧。

関連項目

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