雑賀崎城
雑賀崎城 (和歌山県) | |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 雑賀孫市 |
築城年 | 天正年間(1573年-1593年) |
主な改修者 | 雑賀氏 |
主な城主 | 雑賀氏 |
廃城年 | 1585年(天正13年) |
遺構 | なし |
指定文化財 | 史跡未指定 |
位置 | 北緯34度11分17.9秒 東経135度08分27.4秒 / 北緯34.188306度 東経135.140944度座標: 北緯34度11分17.9秒 東経135度08分27.4秒 / 北緯34.188306度 東経135.140944度 |
地図 |
雑賀崎城(さいかざきじょう)は、和歌山県和歌山市雑賀崎にあった日本の城。
概要
[編集]天正年間(1573年-1593年)に石山本願寺を追われた教如を匿うため、雑賀衆の棟梁・雑賀孫市によって築城された。教如は、現在和歌山県の天然記念物に指定されている結晶片岩の断崖絶壁「鷹の巣」内にある「上人窟」という洞窟に隠れていたという[1]。
1585年(天正13年)の豊臣秀吉の紀州征伐の後に廃城となった。
安政年間に紀州藩が海上の防備のために築いた元番所台場もこの付近にあり、入り組んだ地形が天然の要害の役割を果たしたようである。
城は山城で、城址に遺構はなく、現在は観光地施設として雑賀埼灯台が建てられている。灯台の奥には上人窟に繋がる遊歩道があるが、現在、台風により崩落しており、危険が伴うとして途中までしか行けない。
脚注
[編集]- ^ 「和歌山市の文化財・遺跡」和歌山市公式HP