齋藤圭祐

齋藤 圭祐
千葉県立長生高等学校硬式野球部 コーチ
2012年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県夷隅郡大原町(現:いすみ市
生年月日 (1990-09-24) 1990年9月24日(34歳)
身長
体重
184 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト3位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

齋藤 圭祐(さいとう けいすけ、1990年9月24日 - )は、千葉県夷隅郡大原町(現:いすみ市)出身の元プロ野球選手投手)。

来歴

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プロ入り前

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いすみ市立浪花小学校2年の時から地元の子供会でソフトボールを始め、小学5年の時に地元のソフトボールクラブ・大原マリーンズに入団。大原中では軟式野球部に入部し、3年時に千葉県ベスト8入り。

千葉経大附高に進学後は、2年春に一塁手投手として第79回選抜高等学校野球大会に出場。エースとなった3年時は春夏連続で甲子園に出場し[1]、春の第80回選抜高等学校野球大会ではベスト4進出、夏の第90回全国高等学校野球選手権記念大会では浦添商業高に9-12で2回戦敗退。甲子園後は高校日本選抜の一員としてブラジル遠征に参加した[1]。夏の県大会から4番を打つようになった(敗れた浦添商高戦ではホームランも放った)。また、一学年上に丸佳浩がいた。

2008年10月30日プロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから3位指名を受け、同年11月18日に契約金5000万、年俸500万(金額は推定)で仮契約を結んだ。

巨人時代

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2009年は右肩を脱臼してしまいシーズンを棒に振ってしまう[1]

2010年は、8月9日に東京ドームで行われた試合に登板し今季ファーム初勝利を挙げた[1]8月25日には、チーム初完封勝利を挙げた。イースタンリーグで10試合に登板し、3勝1敗、防御率3.74、完投勝利1回(1完封)の成績を残す。

2011年は6月に右肩関節唇を損傷する[1]。この怪我は選手生命に影響のある程の怪我であった[1]11月16日自由契約となるが、11月25日に育成契約を結んだ。

2012年は前年の怪我のリハビリに励むも[1]10月31日、戦力外通告を受け退団。その後、12球団合同トライアウトに参加するも獲得球団は現れなかった。しかし、現役続行を希望した。

巨人退団後

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2013年、もう一度プロを目指すためアメリカ合衆国でトレーニングを積み[1][2]6月カナダ独立リーグであるインターカウンティー・ベースボールリーグ英語版キッチナー・パンサーズ英語版に入団することが決定した[1][3]。同年12月に帰国。

2014年1月より、巨人時代にチームメイトであった川口寛人の紹介でゴールドジムでインストラクターを務めた[4]。またプロ野球復帰を目指し、同社の社会人野球クラブチームTHINKフィットネス・GOLD'S GYMベースボールクラブにも所属していたが[4]、右肩の故障が癒えずに6月に退社し、11月に手術を受けるも現役復帰を断念した[5]。そして、11月からアルバイトで働いていた建設会社の正社員となる一方、同社の経営者がOBという縁で千葉県立長生高等学校の野球部のコーチに就任した[5]

詳細情報

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年度別投手成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 67 (2009年 - 2011年)
  • 014 (2012年)
  • 3 (2013年)
  • 47 (2014年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 週刊ベースボール2014年6月2日号 P88
  2. ^ 前巨人の斎藤がカナダ独立リーグへ”. 日刊スポーツ (2013年6月20日). 2013年6月20日閲覧。
  3. ^ 元読売巨人軍、斎藤圭祐投手 カナダ独立リーグ球団入団決定
  4. ^ a b 週刊ベースボール2014年6月2日号 P89
  5. ^ a b 元巨人投手・斎藤圭祐氏、千葉・長生高コーチ就任 会社員と二足のわらじ

関連項目

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