齋藤真成
齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年(大正6年)6月5日 - 2019年(令和元年)11月19日)は、日本の僧、洋画家、元・真正極楽寺(真如堂)第53世貫主、元・京都教育大学教授、元・成安女子短期大学講師、愛知県名古屋市出身。
略歴
[編集]- 1917年(大正6年)6月5日 - 愛知県名古屋市に生れる。
- 1920年(大正9年) - 京都府の伯父(服部五老)宅に移住。
- 1934年(昭和9年) - 龍谷大学予科入学
- 須田国太郎らに洋画を学ぶ。
- 1940年(昭和15年) - 同大学文学部仏教学科卒業
- 1941年(昭和16年) - 徴兵される。
- 1943年(昭和18年) - 真如堂・東陽院の第30世住職となる。
- 仕事の傍ら洋画を描く。
- 1965年(昭和40年) - 京都教育大学特修美術科・助教授に就任
- 1967年(昭和42年) - 同大学の教授に就任
- 成安女子短期大学講師
- 1999年(平成11年) - 真如堂・第53世貫主に就任
- 2009年(平成21年) - 母親の故郷である鶴岡市に作品を3点寄贈した為、市より感謝状を授与される。
- 2019年(令和元年)11月19日 - 死去[1]。
洋画作品
[編集]- 1955年(昭和30年) - 『人々』
- 1958年(昭和33年) - 『流木と鳥』
- 1961年(昭和36年) - 『蟷螂』
- 1962年(昭和37年) - 『石切り場』
- 1966年(昭和41年) - 『夜陰』
- 1983年(昭和58年) - 『無名』
- 1984年(昭和59年) - 『行者の家』
- 1988年(昭和63年) - 『荒れ模様』
受賞歴
[編集]- 1987年(昭和62年) - 第5回京都府文化賞功労賞
- 1988年(昭和63年) - 京都市文化功労者[2]
- 1993年(平成5年) - 第4回龍谷賞
- 1997年(平成9年) - 第10回京都美術文化賞
著作物
[編集]- 1994年(平成6年) - 『斎藤真成展 - 魂の曼荼羅を描く』 山形美術館(出版)
- 1998年(平成10年) - 『齋藤眞成』 木村重信(監修) 齋藤眞成画集刊行会(編) 京都書院(出版) ISBN 4-7636-1109-7
- 1998年(平成10年) - 『斎藤真成展 - 寓意と幻妖』 大阪府・大阪府文化振興財団(編) 大阪府(出版)
- 1998年(平成10年) - 『齋藤眞成展 - 仏陀に帰依するアーティスト』 天童市美術館(編) 天童市美術館(出版)
親族一族
[編集]- 高祖父:大山北李 - 庄内藩士、絵師、葛飾北斎の弟子
- 曾祖伯父:大山庄太夫 - 庄内藩士、留守居役
- 伯父:服部五老 - 南画家
- 従兄弟:服部二柳 - 南画家
- 従叔父:黒羽根秀雄 - 海軍大佐、防護巡洋艦「対馬」艦長
- 従叔父:松平穆堂 - 書家
- 再従兄弟:黒羽根忠雄 - 医学博士、医師
- 再従甥:黒羽根洋司 - 整形外科医師、エッセイスト
外部リンク
[編集]参考文献
[編集]- 『懐かしき人々 - 父の父たちの物語 - 』1999年 黒羽根洋司(著)
脚注
[編集]- ^ “齋藤眞成氏死去 関西洋画界の重鎮 真如堂元貫主”. 京都新聞社. (2019年12月5日) 2019年12月6日閲覧。
- ^ “京都市文化功労者”. 京都市. 2022年9月19日閲覧。