ガズヴィーン州

ガズヴィーン州
استان قزوین
位置
イランにおけるガズヴィーン(塗りつぶし部)。
統計
州都:
 • 測地系:
ガズヴィーン
 • 北緯36度16分09秒 東経50度00分10秒 / 北緯36.2693度 東経50.0029度 / 36.2693; 50.0029
面積: 15,549 km²
人口(2016年)
 • 人口密度:
1,273,761人
 • 75.0人/km²
シャフレスターン 5
タイムゾーン: UTC+3:30
主な言語: ペルシア語
ターティー英語版
アゼリー
ギーラキー
タリーシュ
ISO 3166-2:IR: IR-28
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ガズヴィーン州(ガズヴィーンしゅう、ペルシア語: استان قزوین‎, ラテン文字転写: Ostān-e Qazvīn)はイラン州(オスターン)。イラン北西部に位置し、州都はガズヴィーン

地理と気候

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面積は15,821km²。東経48度45分から50度50分、北緯35度37分から36度45分にかけて位置している。北にマーザンダラーン州ギーラーン州、西にハマダーン州ザンジャーン州、南にマルキャズィー州、東にアルボルズ州と境を接する。

州内の山々ではサイヤーラーン、シャー・アルボルズ、ハーシュチャール、セフィード・クーフ、ショジャーイェ・ディーン、アレフターレフ、ラーマンド、アグ・ダグ、ハラガーン、サーリーダグ、ソルターン・ピール、スィヤーフクーフが有名である。このうちシャー・アルボルズが4056m、サイヤーラーンが4175mでもっとも高い。すべてアルボルズ山脈の中央部に属する。最も標高が低いのはターロメ・ソフラーである。

気候は、北部では冬に寒く降雪があり、夏は温暖である。南部は冬にやや寒く、夏暑い。

住民

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人口

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人口は2003年現在、100万強。62%が都市に住み、38%が農村で暮らしている。男女比は男50.7%に対し、女49.3%。識字率は82%強で、全国第7位である。

民族

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言語

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ペルシア語ターティー英語版アゼリーギーラキータリーシュなど。

宗教

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ムスリムが99.6%で大部分を占め、その他の宗教が0.4%。

概要と歴史

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ガズヴィーンはサファヴィー朝の旧都で、2000を超える建築・遺跡などの文化財がある。文化的中心として古くより栄えたガズヴィーンの街が、今日の州都ガズヴィーンである。

ガズヴィーン平原における農耕定住地の存在は紀元前7000年ころまで遡ることが考古学的調査によって判明している。「ガズヴィーン」の名はカスピ海南岸に分布したカス族(Cas)に由来し、西洋の文献ではKazvinやKasvin、あるいはCasbinと転写されてきた。カスピ海の名も同様にカス族に由来する。ガズヴィーンはテフラーンエスファハーンペルシア湾とカスピ海沿岸、アナトリアの結節点に位置し、長く戦略上の要衝となってきた。

ガズヴィーンはイラン史を揺り動かす震源であったといってもよい。イスラーム初期にはアラブ軍の拠点となった。13世紀にはチンギス・ハーンによる破壊を受けた。サファヴィー朝は1548年以降、1598年エスファハーンに遷都するまでガズヴィーンを首都とした。ガージャール朝以降、ガズヴィーンはテフラーン周辺にあって、政府によるイラン統治の最重要拠点であった。

両大戦期にはロシア帝国軍、ソヴィエト連邦軍による攻撃と占領を受けた。パフラヴィー朝の成立に至る1921年のクーデタもまたガズヴィーンから始まった。ガズヴィーンはアラムート城砦英語版にも近い。「暗殺教団」として知られるニザール派シーア派イスマーイール派の一派)の拠点となった場所で、指導者ハサネ・サッバーフはここから指揮を執った。このような歴史を経て、ガズヴィーンは人口29,000(1996年現在)のガズヴィーン州の州都となって現在に至っている。

行政区分

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ガズヴィーン州は4郡(シャフレスターン)、18地域行政区(バフシュ)、20市(シャフル)、44行政村域(デヘスターン)、1543村(デフ)を擁する。

ガズヴィーン州の郡(シャフレスターン)と市(シャフル)を以下に示す。

ガズヴィーン郡
ガズヴィーン市 | エグバーリーイェ市 | ビーデスターン市 | アルヴァンド市 | モハンマディエ市 | クーヒーン市 | マフムーダーバード・ネムーネ市 | ラーズミヤーン市 | モアッレム・ケラーイェ市
ターケスターン郡
ターケスターン市 | エスファルヴァリーン市 | ホッラムダシュト市 | ズィヤー・アーバード市
ブーイーン・ザフラー郡
ブーイーン・ザフラー市 | アルダーグ市 | アーヴァジュ市 | ダーネスファハーン市 | シャール市 | アーブギャルム市
アーブイェク郡
アーブイェク市


経済

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農業

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ガズヴィーン州の耕地は13,000km²、イラン総耕地の12%を占める。多数のガナートや深い井戸、ターレガーンおよびズィヤーラーンのサングバーン・ダムからの運河によって灌漑されている。おもな農産品はブドウ、ヘイゼルナッツ、ピスタチオ、アーモンド、クルミ、オリーブ、リンゴ、小麦、テンサイ、ザクロ、イチジク、その他の穀物である。畜産、養鶏、漁業も州内各地で行われている。

産業

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シャヒード・ラジャーイー発電所

ガズヴィーン州はテフラーンタブリーズを結ぶ鉄道、高速道路の経由点にあり、パフラヴィー朝以来、ガズヴィーン州はその好立地により、イランにおける産業発展の旗手の役割を果たしている。ガズヴィーン州は今日では綿織物絹織物ビロードなどの織物貿易の中心地で、皮革も扱う。ガズヴィーンにはイラン最大の発電所の一つシャヒード・ラジャーイー発電所があり、イランの電力の7%を供給している。

教育

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高等教育機関

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  1. エマーム・ホメイニー国際大学
  2. イスラーム自由大学ターケスターン
  3. イスラーム自由大学ガズヴィーン
  4. ガズヴィーン医科大学
  5. シャヒード・バーバーイー工科大学

ガズヴィーンの名勝、観光地

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ガズヴィーンには最も古いもので9,000年前にさかのぼる複数の考古学遺跡がある。また 23のニザール派などの城塞跡が周辺に残る。ガズヴィーン市内にはサーサーン朝代の遺跡の一つ、メイムーン・ガルエがある。

ガズヴィーンが首都となったサファヴィー朝代から残る建築は多くはない。その中で最も有名なのは、ガズヴィーン中心部のアリー・カプ邸宅で、今日では博物館となっている。

モスク

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9世紀に造営されたジャーメ・アティーグ・モスク

イスラーム、特にスーフィズムハディース学法学(フィクフ)哲学の隆盛により、ガズヴィーンには多くのモスクマドラサ(イスラーム学院)が建てられた。その中でも有名なものを以下に示す。

  • ジャーメ・アティーグ・モスク: イランのもっとも古いモスクの一つ。807年ハールーン・アッ=ラシードの命により建設された。モンゴル帝国の侵攻にともなう破壊にもかかわらず、今日も偉容を誇っている。
  • ヘイダーリーイェ・モスク: 前イスラーム期にさかのぼる。モスクに改装される以前はゾロアスター教寺院であった。1119年の地震ののちアミール・ホマルターシュによって再建。
  • アン・ナビー・モスク(ソルターニー・モスク): サファヴィー朝期創建。古いモスクの一つで、14,000m²nの敷地を持つ。
  • サンジーデ・モスク: 前イスラーム期にさかのぼる。もとゾロアスター教寺院。セルジューク朝代に今日の姿になった。
  • パンジェ・アリー・モスク: サファヴィー朝期に王家のハレムの人びとの礼拝所であった。
  • ペイガムバリーイェ学院モスク: 碑銘によると1644年創建
  • モッラー・ヴェルディーハーニー学院モスク: 1648年創建
  • サーレヒーイェ学院モスク: 1845年創建
  • シェイホルエスラーム学院モスク: 1903年再建
  • エルテファーティーエ学院: イルハン朝期にさかのぼる学院
  • サルダール学院モスク: 1815年、ホセイン・ハーン、ハサン・ハーンのサルダール兄弟の創建。イラン・ロシア戦争での戦勝と帰還の祈願誓約によるもの。

教会、ロシア建築

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ガズヴィーンには19世紀末から20世紀初にかけてのロシア人の建築が3つ残っている。現在の市庁舎(以前はバレー劇場)、貯水施設、正教会である。教会にはロシア人が葬られている。

ピエトロ・デッラ・ヴァッレ(1588-1713)、ジャン・バティスト・タヴニエ(1605-1689)、ジャン・シャルダン(1643-1713)らの旅行家によれば、ガズヴィーンには長い間、さまざまな宗派のクリスチャンが数多く生活していたという。ガズヴィーンには聖フリプシメ教会があり、イエス・キリストの顕現を4人のユダヤ教預言者が伝えたのもこの地であると伝わる。その墓所は民間の信仰を集めて「ペイガムバリーイェ」と呼ばれている。

城塞

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今に残る城塞のほとんどが中世イスマーイール派ニザール派のものである。

  • アラムート城砦英語版
  • ラムベサール城塞
  • シールクーフ砦
  • ゲズ・ガレ砦
  • シャミラーン城
  • メイムーン・ガルエ
  • バラージーン・ガルエ

墓廟

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墓廟建築はガズヴィーン州の魅力の一つである。セルジューク朝の二人の王子、サアドの子アブー・サイード・ビージャールとタキーンの子アブー・マンスール・イルターイーの墓廟は、二つの塔にわかれており、「ハラガーン双子塔」として知られている。1067年の創建で、非円錐二重のドームを用いた最初のイスラーム建築である。2003年3月の地震によって激しい損傷を受けた。

その他、ガズヴィーン州内の著名な墓廟・墓地は以下の通り。

  • エマームザーデ・ホセイン
  • ペイガムバリーイェ(ユダヤの四預言者が葬られているとされる)
  • エマームザーデ・エスマーイール
  • アーメネ・ハトゥーン
  • ゾヴェイデ・ハトゥーン(伝統的給水施設としても機能した)
  • エマームザーデ・アーブアーザル
  • エマームザーデ・アブドッラー、エマームザーデ・ファズロッラー(ファルサジーン)
  • エマームザーデ・ヴァリー(ズィヤー・アーバード)
  • エマームザーデ・カーマル(ズィヤー・アーバード)
  • エマームザーデ・アリー(シェキャルナーブ)
  • ハフト・サンドゥーグ廟
  • ハサナーバード・シャークフ墓廟
  • ソルターン・ヴェイス
  • ピーレ・ターケスターン廟
  • キャファール・ゴンバド
  • ハムドッラー・モストウフィー
  • エマーム・アフマド・ガザーリー墓廟
  • モッラー・ハリーファ墓廟
  • シャヒード・サーレス墓
  • ライーソル・モジャーヘディーン墓

伝統的貯水施設

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古くは「貯水施設(アーブ・アンバール)の街」 と呼ばれ、ガズヴィーンには貯水施設が多く100余があったというが、現在では10が残されているに過ぎない。これらはガズヴィーン州文化遺産協会によって保護されている。

  • 金曜(ジャーメ・アティーグ)モスク貯水施設
  • モッラー・ヴェルディーハーニー貯水施設
  • サルダーレ・ボゾルグ貯水施設
  • サルダーレ・クーチェク貯水施設
  • バーザール貯水施設
  • アーガー貯水施設
  • ハーッジ・カーゼム貯水施設
  • ハーケム貯水施設

バーザール、キャラヴァンサライ

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ガズヴィーンには古いバーザールキャラヴァンサライの好例が残されている。

  • サドル・サルタネ複合施設
  • カイサーリーヤ(ゲイサリーイェ)
  • サラーイェ・ヴァジール
  • サラーイェ・ラザヴィー(シャー)
  • サラーイェ・ハーッジ・レザー
  • サーディーイェ・バーザール
  • シャー・アッバースィー・キャラヴァンサライ(アーヴァジュ)
  • ハージェブ・シャー・アッバースィー(ケイホスロー)・キャラヴァンサライ

旧市門・その他の史跡

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ガズヴィーンの市門は9世紀には7つがあったといい、その後ガージャール朝代には以下の9つになっている。それぞれの市門(ペルシア語: دروازه darvāze)を通って、道は周辺の都市などに通じていたのである。

  1. パンベ・リーセ門
  2. シェイハーバード門
  3. ラシュト門
  4. マグラヴァク門
  5. ハーンダグバール門
  6. シャーザーデ・ホセイン門
  7. モッサラー門
  8. テフラーン門
  9. ラーヘ・クーシュク門

20世紀に入っての急速な市域拡大により、今日では最後の2つしか残っていない。その他のガズヴィーン州の史跡には以下のようなものがある。

  • チェヘル・ソトゥーン宮博物館
  • ホセイニイェ・アミーニーハー(ガズヴィーン固有の伝統的イラン住宅建築)
  • シャー・アッバースィー橋
  • サファー浴場
  • ガージャール浴場

ガズヴィーンの著名人

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ガズヴィーンに生まれ、あるいは暮らし、あるいは葬られた学者、スーフィーは実に数多い。墓廟はガズヴィーン州内各所に点在している。立派なシャーザーデ・ホセイン廟もあるが、シーア派のイマーム・フサイン自身はガズヴィーンの出身ではない。

  • アリー・アクバル・デフホダー: 言語学者でイラン最初の近代ペルシア語辞典の編纂者。ガズヴィーン出身
  • ウバイド・ザーカーニー: 14世紀の著名な詩人。風刺的・反道徳的な詩句で有名。「鼠と猫のマスナヴィー」は政治風刺である。
  • ウバイス・カーラーニー: イスラーム初期、ダイラム人との戦いの中、当地で殺害されたと考えられている。墓廟は「ソルターン・ヴェイス」。
  • ハムド・アッラー・モストウフィー: イルハン朝の歴史家、著述家(1281-1344)。「撰史」(ターリーヘ・ゴズィーデ)、地理篇で有名な「心魂の歓喜(ノズハトルゴルーブ)、「ザファル・ナーメ」などがある。廟は青緑色の円錐ドームをもち、銘はスルス体でモストウフィー家の家系と作品が記されており、ガズヴィーンの建築の中でもひときわ目立つ。
  • アフマド・ガザーリー: 1126年没。有名なスーフィズム思想家。アブー・ハミード・ガザーリーの弟。シャーザーデ・ホセインのそばに葬られている。16世紀末までには有名な巡礼地となっていた。シャー・タフマースプ1世の哲学・神秘主義への忌避によりガザーリーの墓廟は破壊されたため、ガザーリーの継承者らはエマームザーデ・エスマーイール通の現在地への移葬し新たな廟を建立した。モハンマド・ガージャール・ハーンの時代に再び破壊され、現在のものは1910年にモジュドルエスラーム・ガズヴィーニーによって再建されたもの。この墓廟の脇には1625年のソルターン・セイイェド・モハンマド・ワーリー廟がある。
  • モッラー・ハリール・イブン・ガーズィー・カズウィーニー: 1678年没。サファヴィー朝の著名なイスラーム法学者クルアーン注釈者。
  • シャヒード・サーレス: 1846年没。
  • ライーソル・モジャーヘディーン: 後のミールザー・ハサン・シェイホルエスラーム。ミールザー・マスウード・シェイホルエスラームの子。ガズヴィーンにおける立憲主義者・自由主義者の指導者。イラン立憲革命においてガージャール朝の小専制打倒への努力によりライーソル・モジャーヘディーンの称号を受けた。
  • アリー・イブン・シャーザーン
  • イブン・マージェ: アッバース朝時代に活躍したハディース学者(824-87)。スンナ派で最も権威あるハディース集の六書のひとつである『スナン』を著す。
  • ヘイロル・ネサージュ
  • イブラーヒーム・イスタンベフ・ヘラーヴィー
  • ラーズィーオッディーン・ターレガーニー
  • ヌールオッディーン・ギーリー
  • アリー・イブン・ガーズィー・アフマド
  • エマームオッディーン・ラフィーイー
  • スィアーフ・コラーフ
  • ヴァーエズ・ガズヴィーニー
  • アッラーメ・ザラバーディー
  • シェイフ・アラーク・ガズヴィーニー
  • ダーウード・イブン・スライマーン・ガーズィー
  • ピーレ・セフィード
  • ピーレ・アーラムダール
  • モッラー・アブドルワッハーブ・ダーロルシャフィーイー
  • モハンマド・イブン・ヤフヤー:「ガムーソル・ロガート」の注釈者
  • ゴッラトルエイン: 有名なバーブ教徒女性。

外部リンク

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公式サイト

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その他サイト

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