上杉勝延
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄11年2月24日(1698年4月4日) |
死没 | 明和9年6月1日(1772年7月1日) |
別名 | 通称:式部 |
墓所 | 山形県米沢市の林泉寺 |
氏族 | 上杉氏 |
父母 | 父:上杉綱憲、母:樫田氏娘・於磯 |
兄弟 | 吉憲、吉良義周、上杉憲孝[1]、勝周、勝延、 豊姫(黒田長貞正室)、他 養姉妹[2]:鶴姫(島津綱貴継室)、 阿久利姫[3](津軽政兕室)、 菊姫(酒井忠平室→大炊御門経音室) |
子 | 高方直堅室(後畠山義紀継室)、女子、琴(上杉治憲側室) |
上杉 勝延(うえすぎ かつのぶ)は、江戸時代中期の出羽米沢藩主上杉家の一族。
元禄11年(1698年)、米沢藩4代藩主・上杉綱憲の五男として誕生する。
『寛政重修諸家譜』では実子は3女のみとしており、長女は高方大学直堅の室になるが、後に離別して畠山義紀の継室となる。また、三女の琴は明和7年(1770年)に勝延の妹・豊姫の孫である上杉治憲の側室となる。
脚注
[編集]出典
[編集]- 「新訂 寛政重修諸家譜 第12」続群書類従完成会
- 「上杉家御家譜」