伊東祐崇

 
伊東 祐崇
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文9年(1669年
死没 延享4年11月10日1747年12月11日
官位 従五位下駿河守
氏族 日向伊東氏
父母 伊東祐春土岐頼泰
養父伊東祐実
兄弟 祐崇祐連
分部信政
松平義昌長女・稲姫
伊東祐実養女
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伊東 祐崇(いとう すけたか)は、江戸時代前期から中期にかけての日向国飫肥藩の世嗣。官位従五位下駿河守

正室は分部信政娘。後室は松平義昌長女・稲姫。子に伊東祐実養女(伊東祐永正室)。

略歴

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表向御礼衆交代寄合伊東祐春の長男として誕生した。

天和2年(1682年)12月26日、江戸幕府将軍・徳川綱吉に初お目見えした。元禄6年(1693年)3月2日、叔父で飫肥藩5代藩主の伊東祐実に男子がいなかったため養嗣子となり、12月18日に従五位下、駿河守に任官した。

宝永4年(1707年)、病気を理由に廃嫡された。しかし、婿の祐永、外孫の祐之よりも長生きした。

延享4年(1747年)、79歳で死去。

参考文献

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  • 「寛政重修系図 第1輯」