山田順彦

山田 順彦(やまだ よりひこ、1933年1月18日 - 1997年1月24日[1])は日本映画プロデューサー

経歴

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1955年慶應義塾大学文学部を卒業と同時に東宝に入社、文芸部配属。1965年より製作担当者。1967年にプロデューサーに昇格。1969年に契約者となる。1981年に契約が切れフリープロデューサーとなる。小寺朝名義で脚本や原作を手がけることもある。(共同脚本=『育ちざかり』『死ぬにはまだ早い』『娘ざかり』、原作=『年ごろ』『縄と乳房』)

製作担当者

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プロデュース作

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出典・参考文献

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  • 田中文雄『神を放った男 映画製作者田中友幸とその時代』キネマ旬報社、1993年。ISBN 4-87376-070-4 

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典1997~1999』 日外アソシエーツ 2000年3月刊

外部リンク

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