慶明戦

慶明戦
初開催 1910年(野球)
1923年(ラグビー)
1927年(ボクシング)
1934年(レスリング)
1935年(アメリカンフットボール)
チーム 慶應義塾大学
明治大学

慶明戦(けいめいせん)または明慶戦(めいけいせん)は、慶應義塾大学明治大学の間で行われるスポーツ分野での対校戦である。

野球

[編集]
1915年春の慶明戦

野球東京六大学野球連盟における慶應明治の試合を指す。

明大野球部が1910年に誕生したとき、これをサポートしたのは慶應OB佐竹官二であった。佐竹の縁で慶應野球部がたびたびコーチに訪れた。明大野球部の筆記体のロゴマークを考案したのはやはり慶應OBの小山万吾であった[1]

1914年に早慶明(慶應側の呼称は慶早明)[2]リーグ結成。当時は早慶戦中断期であり、慶明戦は早明戦とともに多くの野球ファンの関心を集めた。

近年の六大学野球に於いては、両校により優勝争いが演じられることが多い(2021~2023年の計6回の六大学野球リーグ戦では、両校が優勝3回ずつと分け合っている[3])。八十川ボーク事件などの、歴史上のエピソードなどでも知られる。

慶大の応援指導部(応援団)が、明大戦でのみ使用する応援曲として『孔明』が知られており、専用の銅鑼が用意され演奏される。発祥としては、慶大がなかなか明大から勝ち点を奪うことが出来なかった時期に、諸葛亮孔明の「風を変える」という意味が込められ作成された説、部員たちが対明大用の応援歌を作ってそれを「抗明」と名付け後に転化した説など諸説あり。

ラグビー

[編集]
ラグビー慶明戦

ラグビー関東大学ラグビー対抗戦グループにおける慶應明治の試合を指す、毎年11月の第1日曜日もしくは11月3日秩父宮ラグビー場にて開催される(早明戦早慶戦と異なり、他カードと同日、同会場で組まれる)。また、3月に行われる「全早慶明三大学対抗戦」においても、現役・OB混成チームによる「全慶應対全明治」の試合が行われる(嘗ては毎年3週にわたり、テレビ東京系列で全国中継されていた)。

通算成績は(対抗戦)明治の49勝34敗3分、(大学選手権)明治の5勝1敗1分。

早慶戦と比べると知名度や集客力は欠けるが、毎年競った激しい試合となることが多い。またテレビ中継はJ SPORTSのみ。

1985年度の大学選手権では決勝で対戦した。激しい雨の中、12-12の引き分けとなり両校優勝となった。

ボクシング

[編集]

ボクシング慶明戦(日本初の大学対抗ボクシング試合)[4]1927年6月25日に青山会館で行われ、5 - 5で引き分けた[5]

アメリカンフットボール

[編集]

初のアメリカンフットボール慶明戦は1935年10月29日に芝公園競技場で行われ、明32 - 0慶で明治が勝利した[6]

文化

[編集]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 宮武三郎ほか 『六大学野球部物語』 ベースボール・マガジン社、1956年、88-89頁
  2. ^ 『六大学野球部物語』 64頁
  3. ^ 東京六大学野球リーグ戦 シーズン別チーム順位一覧
  4. ^ 慶應義塾 『慶應義塾百年史』 中巻(後)、284頁
  5. ^ 『東京朝日新聞』 1927年6月26日
  6. ^ 『東京朝日新聞』 1935年10月30日

外部リンク

[編集]