畢元賓
畢 元賓(ひつ げんひん、生没年不詳)は、中国の南北朝時代の官人。本貫は東平郡須昌県。
経歴
[編集]畢衆敬の子として生まれた。宋の正員将軍となった。父とともに北魏に帰順し、平城に入朝すると、上客となった。須昌侯の爵位を受け、平遠将軍の号を加えられた。後に使持節・平南将軍・兗州刺史に任じられ、仮の彭城公となった。父の衆敬が老いて故郷に帰ると、元賓のことは使君と呼ばれた。父が死去すると刺史の任を解かれたが、喪中に長兼殿中尚書に遙任された。その年の末に死去した。撫軍将軍・衛尉卿の位を追贈された。諡は平といった。
妻子
[編集]妻
[編集]- 劉氏(東平郡の人。祖朽・祖髦・祖帰・祖旋の4子を生んだ)
- 元氏(祖栄・祖暉の2子を生んだ)