耽美主義

耽美主義(たんびしゅぎ、: aestheticism)は、道徳功利性を廃しての享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮である。これを是とする風潮は19世紀後半、フランスイギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にあるとする立場である。唯美主義審美主義とも。

概略

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ルース・アプ・ロバーツは、トーマス・カーライルの耽美への先駆的貢献を認めて、1825年から1827年のイギリスの美の使徒と呼んだ。[1]アルジャーノン・スウィンバーンがある絵画を評して曰く「この絵の意味は美そのものだ。存在することだけが、この絵の存在理由(Raison d'être ) なのだ」という表現が耽美主義の本質を説明している。耽美主義者の中ではオスカー・ワイルドなどが代表的である。19世紀の末に近づくにつれ、デカダンスの様相を呈した反社会的な動きとなっていった。これは、当時ヨーロッパを席巻していた楽観的な進歩主義へのアンチテーゼでもあった。

その反社会的傾向から悪魔主義などと括られることもあるが、耽美主義自体は悪魔主義退廃芸術とは必ずしも一致しない。むしろ感性の復興という意味ではルネサンスとも通底している。その一方で神秘主義とも相通じるものもある。フランス人作家ペラダン英語版 は「美が生み出すのは感情を観念に昇華させる歓びである」と語っている。同性愛やサディズム、マゾヒズム、エロチシズムなども、耽美主義の作風に含まれることが、しばしば見受けられる。

耽美主義の流れは日本の知識人や文化人、芸術家にも影響を与えた。谷崎潤一郎は、著名な日本の耽美主義の小説家である。また、泉鏡花江戸川乱歩も同様に耽美主義の作家である。また、三島由紀夫も耽美派に含まれる場合がある。

スタイル

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孔雀の間。建築主の所有する染付の磁器コレクションとホイッスラーの「陶磁の国の姫君」を飾るよう設計されたがホイッスラーが勝手に部屋全体を紺と金に塗り替え、孔雀を描き足した[2]

さまざまな様式が混交しているが、古典主義や日本美術の影響が大きく、1870年から1900年にかけて流行した[2]。特徴的なモチーフとしては、孔雀の羽、ひまわり、青と白のセラミック(染付)、強い色彩などがある[2]。代表的な人物としては、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1880年代半ばに耽美派運動から離反)、ビアズリーオスカー・ワイルドなど[2]。室内装飾としては、船舶王の邸宅の食堂だった孔雀の間(1877年作、現フリーア美術館所蔵)、ハーボーンにあった邸宅ザ・グローブのパネルの部屋(1878年作、現ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵)などがある[2][3]。耽美派の室内装飾には、日本の版画や衝立、扇などがよく使われた[2]

耽美派

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耽美主義を奉ずる文芸上・芸術上の一派。唯美派。

文芸

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絵画・美術

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映画

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映画における耽美主義は、芸術における流派、あるいは芸術家自身の主張というよりは、むしろ「美のための美を追求する」という創作態度や、そこから生まれてくる芸術作品というべきものであるから、周囲がどう評価するかにかかわる場合が多い。次の映画作家の作品は、耽美主義的傾向が強いと指摘されることが多い。

音楽

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グラム・ロック、ゴシック・ロックやニューウェイブの一部に、耽美主義的傾向が濃厚に出ている。

写真

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ギャラリー

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関連項目

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読書案内

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脚注

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  1. ^ ap Roberts, Ruth (1991). “Carlyle and the Aesthetic Movement”. Carlyle Annual (12): 57–64. ISSN 1050-3099. JSTOR 44945538. https://www.jstor.org/stable/44945538. 
  2. ^ a b c d e f Style Guide: AestheticismVictoria and Albert Museum
  3. ^ Panelled room from The Grove in HarborneVictoria and Albert Museum