邑姜

邑姜
の王后

配偶者 武王
子女 成王唐叔虞
父親 呂尚
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邑姜(ゆうきょう、生没年不詳)は、西安市東の酈山の羌族の王女。武王王后。通称 王姜。商(殷)を倒した武王が2年後に亡くなったため、幼い成王を代わって摂政となり、商の反攻が始まると軍を率い遠征し、勝利した。

太公の娘として生まれた[1]。周の武王にとつぎ、成王唐叔虞を生んだ。

唐叔虞を懐妊したとき、邑姜は夢に天帝を見て予言を受けた[2]

のちに邑姜はの妣(国母)とされた[3]

脚注

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  1. ^ 史記集解』所引服虔
  2. ^ 春秋左氏伝』昭公元年
  3. ^ 『春秋左氏伝』昭公10年