長嶺町 (新潟市)
長嶺町 | |
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北緯37度54分53.06秒 東経139度4分5.61秒 / 北緯37.9147389度 東経139.0682250度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 新潟県 |
市町村 | 新潟市 |
区 | ■ 中央区 |
人口 | |
• 合計 | 618人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 950-0085[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
長嶺町(ながみねまち)は、新潟県新潟市中央区の町字。丁番を持たない単独町名であり、住居表示実施済み区域[4]。郵便番号は950-0085[2]。
概要
[編集]1968年(昭和43年) から現在の町名。栗ノ木川下流左岸に位置する[5]。
もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった長嶺新田の区域の一部で、1889年(明治22年)から1968年(昭和43年) まであった字長嶺の一部が長嶺町となって成立した[5]。
隣接する町字
[編集]北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
歴史
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開発年代は不明。1684年(貞享元年)に沼垂町が移転。1690年(元禄3年)に蒲原村が移転し、村域が激減した。物産として醤油、麹、櫛、柾付木、傘などがあった[5]。
1876年(明治9年)に中沢新田を編入。1889年(明治22年)に沼垂町の大字となり、1914年(大正3年)まで長嶺新田と称した[5]。
年表
[編集]- 1876年(明治9年) : 中沢新田を編入する。
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により沼垂町の大字となる。
- 1914年(大正3年)4月1日 : 合併により新潟市の大字となる。
- 1960年(昭和35年) : 長嶺の一部から、明石通1丁目から3丁目が分立。
- 1968年(昭和43年) : 長嶺の残りが長嶺町、明石通1丁目から2丁目、花園1丁目から2丁目、蒲原町となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、中央区の町丁となる。
世帯数と人口
[編集]2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
長嶺町 | 320世帯 | 618人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 新潟市立万代長嶺小学校 | 新潟市立宮浦中学校 |
交通
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脚注
[編集]注釈
出典
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。