高村良嘉
日鉄ステンレス硬式野球部 監督 #57 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県光市 |
生年月日 | 1971年2月10日(53歳) |
身長 体重 | 175 cm 71 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト5位 |
初出場 | 1995年8月15日 |
最終出場 | 1996年9月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について |
高村 良嘉(こうむら よしかず、1971年2月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。
来歴・人物
[編集]小学3年の時に野球を始める[1]。下松工業高に進み、3年の夏は3回戦で敗退[1]。卒業後に新日本製鐵光に入社[1]。都市対抗野球には補強選手も含めて出場した[1]。チームが休部したため、1994年に読売ジャイアンツの入団テストを受け合格し、同年ドラフト5位で入団した[1]。50メートル走を5秒6で走る俊足が持ち味であった。
1年目の1995年に一軍に昇格し、8月には2番セカンドでのスタメン出場が多くなり注目を集め、それまで下位に沈んでいたチーム浮上に貢献した。徹底して叩きつける打撃が持ち味で、この年19安打を放ったがうち12本が内野安打だった。
1996年は新人の仁志敏久の不調・三塁コンバート等で空いた二塁のポジションに、元木大介との併用でスタメン出場をするなど、自己最多の66試合に出場した。シーズンオフには、左足首靱帯の除去手術を受けた。しかし、その後2年間一軍出場がないまま、1998年に戦力外通告を受け現役引退した[1]。
2021年より、古巣の新日本製鐵光を前身とする日鉄ステンレス山口シーガルズのヘッドコーチに就任し[2]、2022年6月にチームの監督に就任した[3]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1995 | 巨人 | 18 | 58 | 53 | 8 | 19 | 1 | 0 | 0 | 20 | 1 | 3 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 11 | 0 | .358 | .393 | .377 | .770 |
1996 | 66 | 137 | 119 | 20 | 32 | 4 | 1 | 0 | 38 | 5 | 4 | 7 | 5 | 0 | 9 | 1 | 4 | 21 | 0 | .269 | .341 | .319 | .660 | |
通算:2年 | 84 | 195 | 172 | 28 | 51 | 5 | 1 | 0 | 58 | 6 | 7 | 9 | 7 | 0 | 12 | 1 | 4 | 32 | 0 | .297 | .356 | .337 | .693 |
記録
[編集]- 初出場:1995年8月15日、対広島東洋カープ17回戦(広島市民球場)、9回表に吉村禎章の代走
- 先発初出場:1995年8月24日、対横浜ベイスターズ23回戦(東京ドーム)、2番・二塁手で出場
- 初安打:1995年8月29日 、対中日ドラゴンズ21回戦(ナゴヤ球場)、今中慎二から
- 初打点:1995年9月7日、対横浜ベイスターズ24回戦(横浜スタジアム)
- 初盗塁:1995年9月3日、対広島東洋カープ22回戦(東京ドーム)
背番号
[編集]- 45 (1995年)
- 00 (1996年 - 1998年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、215ページ
- ^ nssc_yamaguchiの2021年1月3日のツイート- X(旧Twitter)
- ^ @nssc_yamaguchi (2022年6月16日). "【新体制及びチーム名変更について】". X(旧Twitter)より2022年7月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 高村良嘉 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)