魚住村
うおずみむら 魚住村 | |
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廃止日 | 1951年1月10日 |
廃止理由 | 編入合併 明石郡魚住村、大久保町、加古郡二見町 → 明石市 |
現在の自治体 | 明石市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 明石郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 10.33 km2 |
総人口 | 10,973人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 神戸市、加古川市、明石郡大久保町、加古郡二見町、阿閇村、天満村 |
魚住村役場 | |
所在地 | 兵庫県明石郡魚住村清水 |
座標 | 北緯34度42分27秒 東経134度53分57秒 / 北緯34.707528度 東経134.899028度座標: 北緯34度42分27秒 東経134度53分57秒 / 北緯34.707528度 東経134.899028度 |
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魚住村(うおずみむら)は、かつて兵庫県明石郡にあった村。1951年、明石市に編入され消滅した。
地理
[編集]村域の北部は、丘陵地帯である。地質は砂岩、礫岩、凝灰石からなる。南部は一帯低地で平坦な土地である。第三紀層とよばれる古い時代の地質であり、海が陸地化して沖積層とよばれる洪積層である。村内には河川が2流ある。ひとつは、瀬戸川であり、延長3500m、水源を神戸市西区神出町宝勢とする。もう一方は、清水川であり、延長740m 、水源を神戸市西区岩岡町野中とする。
沿革
[編集]魚住村は、1889年、明石郡金ヶ崎村、長坂寺村、清水村、中尾村、西岡村が合併して誕生した。村役所は、初めは、長坂寺の遍照寺に設置されたが、1903年に魚住小学校へ、1948年に魚住中学校へ移転した[1]。
年表
[編集]- 1889年(明治5年)5月 - 竜松小学校(現 明石市立錦浦小学校)が西岡薬師院に開設される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い明石郡金ヶ崎村、長坂寺村、清水村、中尾村、西岡村が合併し、魚住村が発足。
- 1901年(明治34年)6月2日 - 現在の明石市立魚住小学校が開校する。
- 1923年(大正12年)8月19日 - 山陽魚住駅が開業する。
- 1938年(昭和13年)5月11日 - 魚住郵便局が開局する。
- 1947年(昭和22年)4月 - 魚住村立魚住中学校(現 明石市立魚住中学校)が開校する。
- 1951年(昭和26年)1月10日 - 明石市に編入され消滅。
歴代村長
[編集]- 初代・3代・4代 - 楞野 貞一
- 2代 - 山崎 藤次郎
- 5代 - 山崎 伊三郎
- 6代 - 橋本 梅太郎
- 7代 - 大西 甚之助
- 8代 - 西海 秀三
- 9代 - 石井 長治郎
交通
[編集]鉄道路線
[編集]学校
[編集]- 小学校
- 魚住村立魚住小学校
- 魚住村立錦浦小学校
- 中学校
- 魚住村立魚住中学校
寺社
[編集]- 神社
- 住吉神社・金ヶ崎神社・清水神社など
- 寺院
- 正覚寺 - 真宗大谷派の寺院である。本尊は、阿弥陀如来である。
- 遍照寺 - 浄土宗の寺院である。本尊は、阿弥陀如来である。
- 延命寺 - 浄土宗の寺院である。本尊は、阿弥陀如来である。
- 西福寺 - 臨済宗妙心寺派の寺院である。本尊は、観音菩薩である。
- 瑞雲寺 - 高野山真言宗の寺院である。本尊は、大日如来である。
- 薬師院 - 高野山真言宗の寺院である。本尊は、薬師如来である。
- 金輪寺 - 高野山真言宗の寺院である。本尊は、大日如来である。
- 満福寺 - 浄土真宗本願寺派の寺院である。本尊は、阿弥陀如来である。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川書店『角川日本地名大辞典』 28 兵庫県、1988年9月。ISBN 978-4040012803。
- 魚住村誌編集委員会『魚住村誌』1957年。