鳥居忠見
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛延3年(1750年) |
死没 | 寛政6年5月12日(1794年6月9日) |
改名 | 亀五郎(幼名)、忠見 |
別名 | 兵庫(通称) |
墓所 | 東京都文京区本駒込の江岸寺 |
官位 | 従五位下兵庫頭 |
藩 | 下野壬生藩世嗣 |
氏族 | 鳥居氏 |
父母 | 鳥居忠意、伊東氏 |
兄弟 | 忠求、坪内定系、忠計、忠見、竹中元恭、忠温、戸川安昶、忠寄、忠良、 高木正弼正室、花房職雍正室、 花房正域養女、虎子ら13男7女 |
子 | 忠燾ら |
鳥居 忠見(とりい ただみ)は、江戸時代中期の下野国壬生藩の世嗣。官位は従五位下・兵庫頭。
略歴
[編集]3代藩主・鳥居忠意の四男として誕生。
長兄・忠求が早世、甥・忠貴が廃嫡されたため、寛政3年(1791年)に壬生藩嫡子となる。しかし、家督相続前の寛政6年(1794年)に没した。代わって、次男・忠燾が嫡子となった。