1988年の広島東洋カープ
1988年の広島東洋カープ | |
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成績 | |
セントラルリーグ3位 | |
65勝62敗3分 勝率.512[1] | |
本拠地 | |
都市 | 広島県広島市 |
球場 | 広島市民球場 |
球団組織 | |
オーナー | 松田耕平 |
経営母体 | 松田家(マツダ創業者一族) |
監督 | 阿南準郎 |
選手会長 | 達川光男 |
キャッチフレーズ | |
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1988年の広島東洋カープ(1988ねんのひろしまとうようカープ)では、1988年における広島東洋カープの動向をまとめる。
この年の広島東洋カープは、阿南準郎監督の3年目のシーズンである。
概要
[編集]2年ぶりの優勝と日本一奪回を目指すチームは4月を大きく勝ち越して開幕ダッシュに成功し、「今年の優勝は広島か」の声が早くも出始めた。しかし、5月以降前年の覇者・巨人、中日が猛追するとチームは6月に首位を巨人に明け渡し、前半戦は首位と1.5ゲーム差の3位で終了。それでも自力優勝の可能性を残していたが、ベテランの多い主力打者が8月以降息切れし結局2年連続の3位で終わった。投手陣では北別府学や大野豊、川口和久が1年通してローテを守ったが、打線の援護なしで負ける試合も目立った。守護神の津田恒実はまずまずの成績を残すもサヨナラ負けを多く味わうなど、世間から「サヨナラの津田」と揶揄されるようになった。打撃陣では山本浩二や衣笠祥雄が相次いで引退した打線は前年本塁打王のリチャード・ランスが低打率にあえぎ、シーズン終了を待たずに退団。主軸の小早川毅彦、長嶋清幸もまずまずの成績を収め、2年連続首位打者の正田耕三と高橋慶彦・山崎隆造の俊足トリオも健在だったがそれ以外の選手が不調にあえぎ、チーム打率も2割4分台と低迷した。シーズン終了後、阿南監督はこの年限りで勇退。1976年に広島に入団し、リリーフで活躍した小林誠二も阿南監督の勇退とともに現役を引退した。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]開幕:4/8 | 5/1 | 6/4 | 7/1 | 8/2 | 9/4 | |||||||
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1 | 右 | 山崎隆造 | 右 | 山崎隆造 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 |
2 | 二 | 正田耕三 | 二 | 正田耕三 | 右 | 山崎隆造 | 右 | 山崎隆造 | 中 | 長嶋清幸 | 右 | 山崎隆造 |
3 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 | 遊 | 高橋慶彦 |
4 | 一 | 小早川毅彦 | 一 | 小早川毅彦 | 一 | 小早川毅彦 | 一 | 小早川毅彦 | 一 | 小早川毅彦 | 一 | 小早川毅彦 |
5 | 左 | ランス | 中 | 長嶋清幸 | 左 | ランス | 中 | 長嶋清幸 | 左 | ランス | 左 | 長内孝 |
6 | 中 | 長嶋清幸 | 三 | ジョンソン | 中 | 長嶋清幸 | 左 | ランス | 右 | 長内孝 | 中 | 長嶋清幸 |
7 | 三 | ジョンソン | 左 | 長内孝 | 三 | 片岡光宏 | 三 | 高信二 | 三 | 片岡光宏 | 三 | 片岡光宏 |
8 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 達川光男 | 捕 | 山中潔 |
9 | 投 | 北別府学 | 投 | 川口和久 | 投 | 大野豊 | 投 | 川口和久 | 投 | 金石昭人 | 投 | 大野豊 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 広島 | -- | 広島 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- |
2位 | 巨人 | 4.5 | 巨人 | 1.5 | 広島 | 0.5 | 巨人 | 1.0 | 広島 | 6.5 | 広島 | 7.0 | 巨人 | 12.0 |
3位 | 阪神 | 5.0 | 阪神 | 2.5 | 中日 | 1.0 | 広島 | 1.5 | 巨人 | 7.5 | 巨人 | 8.0 | 広島 | 15.0 |
4位 | ヤクルト | 5.5 | 大洋 | 4.0 | ヤクルト | 3.0 | 大洋 | 5.0 | 大洋 | 12.0 | 大洋 | 17.0 | 大洋 | 20.5 |
5位 | 大洋 | 7.0 | 中日 | 4.5 | 阪神 | 6.5 | ヤクルト | 9.5 | ヤクルト | 12.0 | ヤクルト | 17.0 | ヤクルト | 22.0 |
6位 | 中日 | 8.0 | ヤクルト | 5.5 | 大洋 | 7.0 | 阪神 | 10.0 | 阪神 | 19.0 | 阪神 | 23.0 | 阪神 | 29.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 中日ドラゴンズ | 79 | 46 | 5 | .632 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 68 | 59 | 3 | .535 | 12.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 65 | 62 | 3 | .512 | 15.0 |
4位 | 横浜大洋ホエールズ | 59 | 67 | 4 | .468 | 20.5 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 58 | 69 | 3 | .457 | 22.0 |
6位 | 阪神タイガース | 51 | 77 | 2 | .398 | 29.5 |
オールスターゲーム1988
[編集]→詳細は「1988年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
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できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
正田耕三 | 首位打者 | .340 | 2年連続2度目 |
大野豊 | 最優秀防御率 | 1.70 | 初受賞 |
沢村賞 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
達川光男 | 捕手 | 2年ぶり3度目 |
正田耕三 | 二塁手 | 初受賞 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
達川光男 | 捕手 | 2年ぶり3度目 |
正田耕三 | 二塁手 | 2年連続2度目 |
山崎隆造 | 外野手 | 2年連続4度目 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1988年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 野村謙二郎 | 内野手 | 駒澤大学 | 入団 |
2位 | 佐藤裕幸 | 内野手 | 津久見高 | 入団 |
3位 | 畝龍実 | 投手 | NTT関東 | 入団 |
4位 | 近藤芳久 | 投手 | 東芝 | 入団 |
5位 | 江藤智 | 捕手 | 関東高 | 入団 |
6位 | 千代丸亮彦 | 投手 | 福岡・常磐高 | 入団 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1988年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年9月9日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1989』ベースボール・マガジン社、1988年。ISBN 4-583-02720-6。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 中日ドラゴンズ | 2位 | 読売ジャイアンツ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 近鉄バファローズ |
3位 | 広島東洋カープ | 4位 | 横浜大洋ホエールズ | 3位 | 日本ハムファイターズ | 4位 | 阪急ブレーブス |
5位 | ヤクルトスワローズ | 6位 | 阪神タイガース | 5位 | 南海ホークス | 6位 | ロッテオリオンズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||