クリスチャン・アルバース
クリスチャン・アルバース | |
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基本情報 | |
略称表記 | ALB |
国籍 | オランダ |
出身地 | 同・アイントホーフェン |
生年月日 | 1979年4月16日(45歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2005-2007 |
過去の所属チーム | '05 ミナルディ '06 MF1レーシング '07 スパイカー |
出走回数 | 40 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 4 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
最終戦 | 2007年イギリスグランプリ |
クリスチャン・アルバース (Christijan Albers, 1979年4月16日 - )は、オランダ・アイントホーフェン出身のレーシングドライバー。2014年7月2日から、ケータハムF1チーム代表。
父親のアンドレ・アルバースはラリークロスレースで活躍した人物で、1979年のオランダ国際ラリークロス選手権(GT部門)においてチャンピオンとなっている。
経歴
[編集]初期の経歴
[編集]1997年にカートレーシングのオランダ国内選手権タイトルを獲得。同年にフォーミュラ・フォード(1800cc)においても、オランダ選手権、ベルギー選手権を同時に制覇したほか、ザントフォールトサーキットにおいてマールボロ・マスターズF3レースと併催されたルノー・メガーヌ・マールボロ・マスターズにも参加した。
1998年にはドイツF3選手権にステップアップし、初年度から2勝を含む表彰台5回を奪う活躍を見せ年間ランキング5位に着け、翌年は6勝、10ポールポジションを挙げてチャンピオンに輝いた。
2000年に国際F3000へと進み、当時ポール・ストッダートがオーナーを務めており、F1のアロウズチームのジュニアチームでもあったヨーロピアン・アロウズチームから参戦した。この年は得点することすら叶わず、これはチームメイトだったマーク・ウェバーが新人ながら一時的に選手権をリードし最終的に年間ランキング3位という結果を収めたのに対して大きく見劣りする形となった。しかしながら、この縁から翌年以降、ストッダートが買収したミナルディF1チームのテストドライバーとしてしばしばそのステアリングを握ることとなる。
DTM
[編集]2001年からはしばしフォーミュラレースを離れ、ドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦。プライベートチームからの参戦ながら初年度で予選3番手、決勝でも2位を記録するなどしばしば好走を見せ、AMGメルセデスワークスチームのドライバーであるウヴェ・アルツェンが去ったことを受けて、2003年からはその後任としてAMGワークスチームのドライバーとなった。 AMG| これを契機に一躍トップ争いに名を連ねるようになり、2003年にはチームメイトのベルント・シュナイダーとチャンピオン争いを展開し、最終戦までもつれた結果、ランキング2位に食い込んだ。チャンピオンこそ逃したものの、この年はDTM初優勝を遂げ、最終的にこのシーズンにおいて最多となる4勝を挙げた。2004年もしばしば選手権ランキングトップとなり、1勝を含め6度の表彰台を記録し、年間ランキングは3位に食い込む活躍を見せた。
F1
[編集]ミナルディ
[編集]フォーミュラカーから離れていた2001年以降も、DTMでの活躍の一方で、ジョーダンやミナルディで度々F1のテストドライブを経験し、2004年12月には、F3000時代のストッダードとの関係や、母国オランダのトラスト社等からの支援を受け、2005年のミナルディのレギュラーシートを獲得した。なお、アルバースはこの年のミナルディに与えられるカーナンバー「20」と「21」のうち、初めは20の予定だったが21に変更してもらったとされている。理由は奇数のカーナンバーを望んでおり、なぜ奇数かというと、「チャンピオンは常に奇数のカーナンバーをつけるだろ?」という事らしい。
最下位チームであることもあって見せ場には乏しかったが、ミシュランタイヤを装着する全チームが棄権したアメリカGPでは、この年ブリヂストンユーザーだったミナルディに在籍していた漁夫の利もあって5位に入賞し、F1における初ポイントを獲得した。
MF1レーシング
[編集]2005年11月1日、レッドブル社によってミナルディが買収され、トロ・ロッソチームとなることが発表されたが、それに先立つ10月31日、アルバースはミッドランド社がジョーダンを買収して創設したMF1レーシングへ移籍し2006年シーズンに参戦することを発表した。
ジョーダン時代となる前年からチームに在籍し、デビュー年ながら高い完走率で注目されたティアゴ・モンテイロをシーズン序盤からリードし、以後は主にスーパーアグリの佐藤琢磨と激しく争うこととなる。
第4戦サンマリノGPではスタート直後にスーパーアグリの井出有治に追突され、自らのマシンは横転してクラッシュしリタイアとなった。この事故を引き金に井出はF1で走る水準に達していないとみなされ、ニキ・ラウダはじめベテランドライバーらから苦言を呈されたこともあって、後にスーパーライセンスを失ったが、当事者であるアルバースはFIAによるこの裁定について「周囲はいろいろと言っているようだが、(彼への)個人攻撃はやりたくない。これは事故だから[1]」と駆け出しの井出を擁護した。
スパイカーF1
[編集]MF1レーシングがオランダの自動車メーカーであるスパイカー・カーズ社に買収されスパイカーF1チームとなる中、アルバースは2007年シーズンに向けエースドライバーとして残留することに成功する。スパイカー社の大株主であるミッシェル・モルは元々Lost Boysなどの名義でアルバースを支援しており、チームとしてはアルバースのパーソナルスポンサーであるトラスト社の支援も見込め、加えて、オランダ国籍となることを大きなセールスポイントとするスパイカーとしてはオランダ人ドライバーの起用は望ましいことでもあることから、この人事は至極当然とみなされていた。
しかし、個人スポンサーによるチームへの支払い滞納、チームメイトであるエイドリアン・スーティルと比較しても結果が劣る状況が続く。そしてフランスGPで給油ホース[2]を引きちぎってピットロードを激走するという一歩間違えば大惨事ともなる大失態を演じ、イギリスGP後の7月10日、チームは公式に「今後このチームでレースすることはない」と正式解雇を発表した。その後は再びDTMに参戦している。2009年からはル・マン24時間レースにも出場した(2010年まで)。
エピソード
[編集]アルバースがF1で走った3年間は、いずれのシーズンもアルバースがシーズンリタイア第1号となるという不名誉な記録を持っている。
レース戦績
[編集]ドイツ・フォーミュラ3選手権
[編集]年 | チーム | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | DC | ポイント |
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1998年 | ファン・アメルスフォールト・レーシング | オペル | HOC 1 3 | HOC 2 Ret | NÜR 1 6 | NÜR 2 10 | SAC 1 13 | SAC 2 10 | NOR 1 1 | NOR 2 1 | LAH 1 16 | LAH 2 18 | WUN 1 9 | WUN 2 5 | ZWE 1 8 | ZWE 2 6 | SAL 1 7 | SAL 2 4 | OSC 1 2 | OSC 2 3 | NÜR 1 3 | NÜR 2 11 | 5位 | 120 |
1999年 | オペル・チームBSR | SAC 1 Ret | SAC 2 7 | ZWE 1 7 | ZWE 2 3 | OSC 1 1 | OSC 2 3 | NOR 1 1 | NOR 2 2 | NÜR 1 1 | NÜR 2 1 | SAL 1 1 | SAL 2 7 | OSC 1 3 | OSC 2 EX | HOC 1 1 | HOC 2 5 | NÜR 1 2 | NÜR 2 2 | 1位 | 229 |
国際F3000選手権
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
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2000年 | ヨーロピアン・アロウズ F3000 | IMO Ret | SIL Ret | CAT 12 | NÜR Ret | MON Ret | MAG 7 | A1R Ret | HOC DNQ | HUN Ret | SPA 8 | NC | 0 |
(key)
ドイツツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
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2001年 | パーソン・モータースポーツ | メルセデス・ベンツ・CLK-DTM | HOC QR 13 | HOC CR 13 | NÜR QR 13 | NÜR CR 12 | OSC QR 11 | OSC CR 11 | SAC QR 16 | SAC CR 2 | NOR QR 13 | NOR CR 16 | LAU QR 12 | LAU CR 16 | NÜR QR 8 | NÜR CR 9 | A1R QR 11 | A1R CR Ret | ZAN QR 8 | ZAN CR Ret | HOC QR 14 | HOC CR 9 | 14位 | 19 |
2002年 | チーム・ロズベルグ | メルセデス・ベンツ・CLK-DTM | HOC QR Ret | HOC CR Ret | ZOL QR 13 | ZOL CR 6 | DON QR 11 | DON CR 4 | SAC QR 13 | SAC CR 8 | NOR QR 10 | NOR CR 6 | LAU QR 20 | LAU CR 14 | NÜR QR 18 | NÜR CR 17 | A1R QR 19 | A1R CR 13 | ZAN QR Ret | ZAN CR 12 | HOC QR 11 | HOC CR 9 | 12位 | 5 |
2003年 | HWAチーム | メルセデス・ベンツ・CLK-DTM | HOC 5 | ADR 1 | NÜR 1 | LAU 7 | NOR 1 | DON 5 | NÜR 2 | A1R 3 | ZAN 1 | HOC 12 | 2位 | 64 | ||||||||||
2004年 | HWAチーム | メルセデス・ベンツ・C-クラス 2004 | HOC 2 | EST 1 | ADR 2 | LAU 2 | NOR 2 | NÜR 16 | OSC 12 | ZAN 3 | BRN Ret | HOC 7 | 3位 | 50 | ||||||||||
2008年 | フューチャーコムTME | アウディ・A4 DTM 2006 | HOC Ret | OSC 16 | MUG 13 | LAU 14 | NOR Ret | ZAN Ret | NÜR 11 | BRH 14 | CAT 10 | BUG 13 | HOC Ret | 17位 | 0 |
F1
[編集]年 | 所属チーム | # | ランキング | 獲得ポイント | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 |
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2005年 | ミナルディ | 21 | 19位 | 4 | 5位・1回 | 0回 | 13位・1回 |
2006年 | MF1レーシング | 19 | 21位 | 0 | 10位・1回 | 0回 | 14位・1回 |
2007年 | スパイカー | 21 | 24位 | 0 | 14位・2回 | 0回 | 20位・2回 |
年 | チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | DC | ポイント |
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2005年 | ミナルディ | PS04B | AUS Ret | MAL 13 | BHR 13 | 19位 | 4 | ||||||||||||||||
PS05 | SMR Ret | ESP Ret | MON 14 | EUR 17 | CAN 11 | USA 5 | FRA Ret | GBR 18 | GER 13 | HUN NC | TUR Ret | ITA 19 | BEL 12 | BRA 14 | JPN 16 | CHN 16 | |||||||
2006年 | MF1レーシング | M16 | BHR Ret | MAL 12 | AUS 11 | SMR Ret | EUR 13 | ESP Ret | MON 12 | GBR 15 | CAN Ret | USA Ret | FRA 15 | GER DSQ | HUN 10 | TUR Ret | ITA 17 | CHN 15 | JPN Ret | BRA 14 | 22位 | 0 | |
2007年 | スパイカー | F8-VII | AUS Ret | MAL Ret | BHR 14 | ESP 14 | MON 19 | CAN Ret | USA 15 | FRA Ret | GBR 15 | EUR | HUN | TUR | ITA | BEL | JPN | CHN | BRA | 25位 | 0 |
(key)
ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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2009年 | コレス | クリスチャン・バケルー ジョルジオ・モンディーニ | アウディ・R10 TDI | LMP1 | 360 | 9位 | 9位 |
2010年 | クリスチャン・バケルー オリバー・ジャービス | LMP1 | 331 | DNF | DNF |
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- クリスチャン・アルバース公式サイト
- CHRISTIJAN ALBERS ON THE SPOT - itv.com/f1によるインタビュー記事(2006年10月)
タイトル | ||
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先代 バス・ラインダース | ドイツF3チャンピオン 1999年 | 次代 ジョルジョ・パンターノ |