GENTARO

GENTARO
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プロフィール
リングネーム GENTARO
"ナスティ"ブラック・パンサー
F.M-TARO
BENTEN
本名 高橋 元太郎
ニックネーム レスリングマイスター
身長 177cm
体重 90kg
誕生日 (1974-10-28) 1974年10月28日(50歳)
出身地 東京都小金井市
所属 プロレスリングFREEDOMS
スポーツ歴 学生プロレス
トレーナー 仲野信市
デビュー 1999年5月8日
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GENTARO(ゲンタロー、1974年10月28日 - )は、日本男性プロレスラー血液型O型。東京都小金井市出身。プロレスリングFREEDOMS所属。本名:高橋 元太郎(たかはし げんたろう)。

経歴

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城西大学在学中にヤブサメとして学生プロレスを始める[1]

1999年5月8日レッスル夢ファクトリー所沢サン・アビリティーズ大会でF.M-TAROとして三浦博文覆面太郎とタッグを組んで対加藤茂郎&死神&怨霊組戦でデビュー。

2001年KAIENTAI DOJOに移籍してリングネームをGENTAROに改名。同年、K-DOJOを退団。

2002年DDTプロレスリングに入団。後に佐々木貴とタッグチーム「アカレンジャーズ」を結成。

2003年、DDTを退団

2004年アパッチプロレス軍に入団。

2009年8月8日、アパッチが解散。8月、佐々木らと共にプロレスリングFREEDOMSを設立。

2012年8月5日、FREEDOMS札幌テイセンホール昼大会で試合終了後、体調不良を訴えて緊急搬送されて入院。検査の結果、脳梗塞と診断されて以降、予定された試合はすべて欠場となる。8月27日以降、FREEDOMSの興行で募金箱が設置された。9月17日、FREEDOMS新木場1stRING大会は「GENTARO AID」と題した大会に変更されて収益すべてが治療費に当てられた。また、アイスリボンが「GENTARO AID」と同日同時間帯に予定されていた道場マッチの時間帯を変更してFREEDOMSで提供試合が行われた。

2013年1月、病院を退院してからは復帰を目指してリハビリを行う。5月2日、FREEDOMS後楽園ホール大会で行われたKING of FREEDOM WORLD選手権試合にチャンピオンベルトのプレゼンターとして来場。退院後、初めて観客の前に姿を見せて補助無しではリングに上がれない状態ながらも自ら佐々木にチャンピオンベルトを手渡して「いつか、いつか、このベルトに絶対、挑戦するからな、それまで守れよ」とスピーチを行った[2]。その後、リハビリを兼ねながら復帰に向けてトレーニングを積んだ。

2014年5月2日、FREEDOMS後楽園ホール大会で復帰戦が行われて休場前と変わらぬビルドアップした肉体を披露。8月25日新宿FACEで自主興行「〜GENTARO AIDに出てくれたみんな大集合!〜」を開催。

人物

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得意技

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かつては跳躍力を生かした美しいフォームの空中殺法を得意としており、ショーン・マイケルズブレット・ハートを強く意識したファイトスタイルだったが、近年ではグラウンド重視の試合展開や一点集中攻撃などの試合組み立てを重視したプロレスを得意にしており、試合運びの上手さには定評がある。

シューティングスタープレス
バックドロップ
シャープシューター
卍固め
フライングヘッドシザーズホールド
足極め首固め
スウィート・チン・ミュージック

入場曲

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  • 初代 : I'd die for you(ボン・ジョヴィ
  • 2代目 : Another side of(D.B.M.N ドーベルマン)

タイトル歴

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プロレスリングFREEDOMS
DDTプロレスリング
アパッチプロレス軍
  • WEWタッグ王座(初代、第7代)(パートナーは佐々木貴→ジ・ウィンガー)
WMF
KAIENTAI DOJO
大日本プロレス
VKFプロレス
プロレスリング・ナイトメア
  • レッスルブレインヘビー級王座(第2代)
DEP
  • DEPタッグ王座(第4代)(パートナーは小杉研太)
アイスリボン
大山プロレスフェスティバル
  • 遊座大山商店街認定インターコンチネンタルタッグ王座(初代)(パートナーは唯我
イーグルプロレス
  • 日本インディペンデントクルーザー級王座(第9代)
  • アメリカスクルーザー級王座(第2代)
プロレスリングA-TEAM

メディア出演

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映画

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  • 平成トンパチ野郎〜男はツラだよ〜(マジカル / グラッソ)(2009年)山下源太役

ラジオ

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脚注

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外部リンク

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