ブライアン・マティス
オリオールズ時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | コロラド州メサ郡グランドジャンクション |
生年月日 | 1987年2月11日(37歳) |
身長 体重 | 6' 4" =約193 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 MLBドラフト1巡目(全体4位)でボルチモア・オリオールズから指名 |
初出場 | 2009年8月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | アメリカ合衆国代表 |
この表について |
獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
アメリカ合衆国 | ||
パンアメリカン競技大会 | ||
銀 | 2007 | 野球 |
ブライアン・ロバート・マティス(Brian Robert Matusz, 1987年2月11日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州メサ郡グランドジャンクション出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]サンディエゴ大学時代の2007年7月にはブラジルのリオデジャネイロで行われた第15回パンアメリカン競技大会における野球競技のアメリカ合衆国代表に選ばれ、銀メダルを獲得した。2008年、12勝・防御率1.71・141奪三振の成績で、ウェスト・コースト・カンファレンスの最優秀投手に選出されたり、ロジャー・クレメンス賞の最終選考の一人に選ばれた[1]。
プロ入りとオリオールズ時代
[編集]2008年のMLBドラフト1巡目(全体4位)でボルチモア・オリオールズから指名され、入団交渉期限日となった8月15日に契約[1]。
2009年、オリオールズ傘下のマイナー2球団(A+級フレデリック・キーズとAA級ボウイ・ベイソックス)で11勝2敗・防御率1.91を記録し、7月にはオールスター・フューチャーズゲームの米国選抜に選出され、9月にはオリオールズ傘下の最優秀投手に選出された[2]。球団は8月4日にキャム・ミコライオと入れ替わりでマティスをメジャーへ昇格させ[3]、同日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー。その後、ローテーション入りしたが、球団は酷使を防ぐため、9月12日の登板を最後にシーズンを終えた[4]。
2010年は、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの最有力候補として開幕を迎えたが[5]、7月末の時点で3勝11敗・防御率5.46という数字だった。しかし、監督がバック・ショーウォルターに交代してから調子が上がり、シーズン終盤には6連勝してシーズンを終えた。後半に調子が上がった理由は、登板前にピッチングコーチ・捕手のマット・ウィータースと共に各打者に対する攻め方を検討し、細かなプランを立てて投球に臨んでいたためである[5]。
2011年はエース格として期待されながらも1勝9敗・防御率10.69という悲惨な成績に終わった。10試合以上先発した投手では2000年にロイ・ハラデイが記録した防御率10.64を超える史上最悪の防御率となった[6]。
2012年は先発で結果を残せず途中でマイナー降格し、再昇格した後半は中継ぎに回った。
2013年からは、中継ぎ左腕として起用されている。
2014年1月17日にオリオールズと240万ドルの1年契約に合意した[7][8]。この年も全てリリーフで63試合に登板。防御率を僅かに向上させたほか、投球イニング数を上回る三振を奪うなど、前年の投球がまぐれでないと証明した。特にピンチの場面で強さを発揮し、引き継いだランナー49人中39人の生還を阻止した[9]。
2015年5月23日のマイアミ・マーリンズ戦で右腕に異物を付けて登板したため、8試合の出場停止処分を受けた[10]。この年は通算250試合登板を達成。レギュラーシーズンでは58試合にリリーフ登板した。1勝4敗と大きく負け越したものの、防御率2.94(自身初の3.00未満)を記録し、前年に引き続き投球回以上の奪三振をマークするなど、リリーフ投手としての適性を示した。
オリオールズ退団後
[編集]2016年5月23日にマイナー選手2名とのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍したが、当日中にDFAとなった[11][12]。6月1日に自由契約となった。6月15日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。7月31日にメジャー契約を結んで25人枠入りし、同日のシアトル・マリナーズ戦で4年ぶりに先発したが、3回6失点と乱調だった(勝敗付かず)[13]。翌日の8月1日にDFAとなり、3日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級アイオワ・カブスへ配属された。オフの11月7日にFAとなった[11]。
2017年2月13日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[14]。開幕は傘下のAAA級リノ・エーシズで迎え、11試合に登板。5月13日に自由契約となった[11]。
2018年は所属球団なく、2019年7月23日にメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約したが、初登板で3回5失点を喫し、7月28日に解雇となった。8月2日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約[11]。オフに退団した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | BAL | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | .714 | 196 | 44.2 | 52 | 6 | 14 | 0 | 0 | 38 | 0 | 0 | 24 | 23 | 4.63 | 1.48 |
2010 | 32 | 32 | 0 | 0 | 0 | 10 | 12 | 0 | 0 | .455 | 760 | 175.2 | 173 | 19 | 63 | 3 | 7 | 143 | 1 | 0 | 88 | 84 | 4.30 | 1.34 | |
2011 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 0 | 0 | .100 | 245 | 49.2 | 81 | 18 | 24 | 1 | 0 | 38 | 0 | 0 | 60 | 59 | 10.69 | 2.11 | |
2012 | 34 | 16 | 0 | 0 | 0 | 6 | 10 | 0 | 4 | .375 | 441 | 98.0 | 112 | 15 | 41 | 4 | 0 | 81 | 0 | 0 | 61 | 53 | 4.87 | 1.56 | |
2013 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 18 | .667 | 208 | 51.0 | 43 | 3 | 16 | 2 | 2 | 50 | 0 | 0 | 21 | 20 | 3.53 | 1.16 | |
2014 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 14 | .400 | 226 | 51.2 | 51 | 7 | 17 | 4 | 3 | 53 | 3 | 0 | 23 | 20 | 3.48 | 1.32 | |
2015 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 2 | .200 | 206 | 49.0 | 38 | 5 | 20 | 3 | 3 | 56 | 2 | 0 | 18 | 16 | 2.94 | 1.18 | |
2016 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 35 | 6.0 | 11 | 3 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 8 | 12.00 | 3.00 | |
CHC | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 18 | 3.0 | 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 6 | 6 | 18.00 | 2.67 | |
'16計 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 53 | 9.0 | 17 | 6 | 9 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 14 | 14 | 14.00 | 2.89 | |
MLB:8年 | 280 | 69 | 0 | 0 | 0 | 27 | 41 | 0 | 39 | .397 | 2335 | 528.2 | 567 | 79 | 204 | 17 | 16 | 462 | 7 | 0 | 309 | 289 | 4.92 | 1.46 |
- 2017年度シーズン終了時
獲得タイトル・表彰・記録
[編集]- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(2009年)
背番号
[編集]- 52(2009年)
- 17(2010年 - 2016年途中)
- 15(2016年途中 - 同年終了)
代表歴
[編集]脚注
[編集]- ^ a b "Orioles come to terms with first-round pick Brian Matusz" (Press release) (英語). MLB.com (Baltimore Orioles). 15 August 2008. 2010年5月2日閲覧。
- ^ "Orioles announce 2009 award winners for player development & scouting" (Press release) (英語). MLB.com. 16 September 2009. 2010年5月2日閲覧。
- ^ “Orioles recall LHP Brian Matusz from Double-A Bowie” (英語). MLB.com (Baltimore Orioles) (2009年8月4日). 2010年5月2日閲覧。
- ^ “Orioles decide to shut down rookie lefty Matusz” (英語). The Sports Network. Canadian Press (2009年9月14日). 2010年5月2日閲覧。
- ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、100頁。ISBN 978-4-331-51518-1。
- ^ Matthew Pouliot (2011年9月25日). “Brian Matusz breaks Roy Halladay’s major league record” (英語). HardballTalk. NBC Sports. 2011年11月27日閲覧。
- ^ "Orioles agree to terms with Davis, Hunter, Matusz, Norris and Patton" (Press release) (英語). MLB.com (Baltimore Orioles). 17 January 2014. 2014年1月18日閲覧。
- ^ Andrew Simon (2014年1月17日). “Davis' breakout season nets massive pay raise” (英語). MLB.com. 2014年1月18日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2015』廣済堂出版、2015年、34頁。ISBN 978-4-331-51921-9。
- ^ http://deadspin.com/brian-matusz-second-pitcher-this-week-ejected-for-fore-1706597771
- ^ a b c d MLB公式プロフィール参照。2017年7月25日閲覧。
- ^ Chad Thornburg (2016年5月23日). “O's deal Matusz to Braves” (英語). MLB.com. 2016年5月24日閲覧。
- ^ Lester squeezes in deciding run, Cubs beat Mariners in 12
- ^ Steve Adams (2017年2月13日). “D-Backs, Brian Matusz Agree To Minor League Deal”. MLB Trade Rumors. 2017年7月25日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]