土倉一貞
土倉 一貞(とくら かずさだ、元禄11年6月12日(1698年7月19日) - 宝暦10年12月4日(1761年1月9日))は、岡山藩の家老。
実父は片桐池田家の池田長喬、実母は伊木幸和の娘。同母兄に池田長處。正室は池田政森の娘。子は土倉一信。幼名は豊之介。通称は左膳、市正。初名は一明。号は了翁。
生涯
[編集]元禄11年(1698年)6月12日、岡山藩家老池田長喬の次男として岡山に生まれる。正徳2年(1712年)、岡山藩家老土倉一涂の死去により養子となって、3月9日に家督を相続し、岡山藩家老、佐伯1万石の領主となり、通称を左膳と名乗る。
享保7年(1722年)、藩主池田継政と伊達吉村の娘和子との婚儀で、貝桶受け取りを務めるため江戸に下向した。
宝暦9年(1759年)、隠居して嫡子の一信に家督を譲り、剃髪して了翁と号した。宝暦10年(1763年)12月4日死去、享年64。
人物・逸話
[編集]佐伯ではコンニャクの製造が盛んで、その販売の商標に土倉家の家紋「折れ松葉」の使用を許可した。
参考文献
[編集]- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』