嬀州

嬀州(きしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の河北省張家口市南部に設置された。

概要

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624年武徳7年)、により高開道が滅ぼされると、涿郡懐戎県の地に北燕州が置かれた。634年貞観8年)、北燕州は嬀州と改称された。702年長安2年)、懐戎県の県治を清夷軍城に移した。742年天宝元年)、嬀州は嬀川郡と改称された。758年乾元元年)、嬀川郡は嬀州の称にもどされた。嬀州は河北道に属し、懐戎・嬀川の2県を管轄した[1]

936年天福元年)、後晋の建国にあたって、嬀州は燕雲十六州のひとつとして契丹に割譲された。

938年会同元年)、遼により嬀州は可汗州と改称されたが、清平軍が置かれた。可汗州は西京道に属し、懐来県を管轄した[2]

北宋では嬀州は雲中府路に属すこととされている[3]が、その統治の実態はなかった。

1122年天輔6年)、が可汗州を奪った。1123年天会元年)、可汗州は廃止された。1195年明昌6年)、懐来県は嬀川県と改称され、徳興府に属した[4]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志二
  2. ^ 遼史』地理志五
  3. ^ 宋史』地理志六
  4. ^ 金史』地理志上