果州

果州(かしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から宋代にかけて、現在の四川省南充市一帯に設置された。

概要

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621年武徳4年)、により隆州南充相如の2県を分離して果州が立てられた。742年天宝元年)、果州は南充郡と改称された。758年乾元元年)、南充郡は果州の称にもどされた。果州は剣南道に属し、南充・相如・流渓西充朗池岳池の4県を管轄した[1]

のとき、果州は潼川府路に属し、南充・西充・流渓の3県を管轄した。1227年宝慶3年)、果州は順慶府に昇格した[2]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋史』地理志五