尺別信号場
尺別信号場 | |
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旅客扱い末期の駅舎(2018年9月) | |
しゃくべつ Shakubetsu | |
◄K43 直別(信) (4.0 km) (3.8 km) 音別 K45► | |
所在地 | 北海道釧路市音別町尺別 |
駅番号 | ○K44 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■根室本線 |
キロ程 | 125.0 km(新得起点) |
電報略号 | ヤク |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1920年(大正9年)1月22日[1] |
備考 | 開業から1925年(大正14年)2月1日までは貨物駅。2019年(平成31年)3月16日に旅客扱いを廃止し信号場化 |
尺別駅 | |
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しゃくべつ Shakubetsu | |
(0.3 km) 社尺別► | |
所属事業者 | 雄別炭礦 |
所属路線 | 尺別鉄道線 |
キロ程 | 0.0 km(尺別起点) |
開業年月日 | 1962年(昭和37年)1月1日 |
廃止年月日 | 1970年(昭和45年)4月26日 |
備考 | 路線廃止により廃駅。 |
尺別信号場(しゃくべつしんごうじょう)は、北海道釧路市音別町尺別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の信号場。電報略号はヤク。事務管理コードは▲110429[2]。旅客営業当時の駅番号はK44。
歴史
[編集]北日本鉱業が、尺別炭礦運炭軌道(雄別炭鉱尺別線の前身、以下「尺別線」)向け分岐線(車扱貨物積込線)設置予定地点に、1919年(大正8年)7月13日付で信号所設置を願い出たことにより貨物駅として開設され[3]、その後旅客を扱うようになった。
その後尺別炭鉱は1970年(昭和45年)に閉山となり、当駅も2019年(平成31年)3月16日に旅客取り扱いを廃止し[4]、信号場となった[5]。
年表
[編集]- 1920年(大正9年)
- 1925年(大正14年)2月1日:一般貨物の取扱い開始[8][5][7][9]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:旅客・手荷物・小荷物・旅客附随小荷物取扱い開始。一般駅となる[10][5][7][9]。
- 1941年(昭和16年):雄別炭礦尺別炭礦運炭軌道の別線として軌間1067mmの専用鉄道「尺別炭礦鉄道」敷設工事開始に伴い当駅構内側線等改造[3]。
- 1942年(昭和17年)11月3日:軽便運炭軌道を廃止して専用鉄道の雄別炭礦尺別炭礦鉄道運転開始[9]。一般客を除く炭礦関係者の旅客を取り扱うようになり、約400 m 離れた社尺別駅が当駅との旅客での連絡駅となる[3]。
- 1945年(昭和20年):尺別炭礦休山により側線及び転車台が遊休施設となったため、転車台を滝川機関区へ移設[3][注 3]。
- 1952年(昭和27年)3月4日:同年の十勝沖地震で駅舎倒壊[5]。
- 1953年(昭和28年):新駅舎完成。その後減築などを経て駅廃止まで供用[5]。
- 1961年(昭和36年)6月3日:尺別炭礦鉄道が専用鉄道から地方鉄道の尺別鉄道となり[9]、一般旅客扱い及び国鉄との貨物連帯輸送開始[3]。
- 1970年(昭和45年)4月16日:同年2月の炭鉱閉山に伴い雄別炭礦尺別鉄道廃止[9]。
- 1971年(昭和46年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
- 時期不詳:簡易委託廃止、完全無人化。
- 1995年(平成7年):廉価版PCまくらぎ(後年、宗谷本線高速化で採用)の試験敷設を構内で実施[13]。
- 1996年(平成8年)度:石勝線・根室線高速化工事に伴い同年度に構内改良[14]。
- 2000年(平成12年)7月14日午前5時56分ごろ:釧路駅発、芽室駅行きの普通列車(気動車5両編成)が横取り装置取り外し忘れによる脱線事故が発生[15]。5両すべてが脱線し、うち2両がホームに接触して、乗客・乗員各1名が軽傷を負う[15]。
- 2018年(平成30年)6月20日:JR北海道が釧路市に対して、当駅を翌年3月に実施予定のダイヤ改正で廃止する検討を伝えた旨が報道される[16]。
- 2019年(平成31年)3月16日:同日のダイヤ改正で旅客取り扱い廃止[17]。尺別信号場となる[5]。
信号場名の由来
[編集]所在地名より。現在の尺別川を指すアイヌ語に由来するが諸説ある[18]。説としては以下のものが挙げられている[7][18]。
- 「夏・川」を表す「サㇰペッ(sak-pet)」[18]
- 「無い・川」を表す「サㇰペッ(sak-pet)」[18]
- 「乾かす・川」を表す「サッテペッ(satte-pet)」[18]
- 「乾く・川」を表す「サッペッ(sat-pet)」[7][18]
これらの名称の由来は夏にこの川で食料を得たため(1.)、夏にその水が乾くため(1.・2.・3.)、水が少なく鮭鱒が遡上しなかったため(4.)などと推測されている[18]。
構造
[編集]2線を有する列車交換型の信号場。
旅客営業当時は相対式2面2線のホームを持つ地上駅であり、音別駅管理の無人駅であった。
雄別炭鉱尺別線が運用されていた頃の構造は、中線を有する相対式ホーム2面2線で、駅舎直別側に貨物ホームと引込線、本線駅裏側に雄別炭鉱用の留置・仕訳用側線5本及び機回し線1本が釧路側から分岐、機回し線の社尺別駅寄りに転車台を有した[3]。
駅舎は1953年(昭和28年)完成の2代目が、減築・改修などを経て駅廃止まで供用されていた[5]。
- 改修前の駅舎(2013年9月)
- 待合室(2018年9月)
- ホーム(2018年9月)
- 跨線橋(2018年9月)
利用状況
[編集]炭鉱閉山以前は1日に2000人を超える乗降があったとされる[19]。
周辺
[編集]民家が数軒ある。かつては炭鉱の社宅や国鉄官舎が並び[5]、2019年(平成31年)3月16日付の朝日新聞記事では、元住民の証言として上記以外に食料品店、旅館、パチンコ店などがあったことを紹介している[19]。このほか1966年(昭和41年)3月10日に駅前に簡易郵便局が設置されたが、閉山後の1971年(昭和46年)3月1日に廃止されている[9]。
- 紗枝の家
- 北海道道361号尺別尺別停車場線
- 旧尺別鉄道と並行。内陸に8キロほど入ったあたりに数千人が暮らした大きな市街地があったが閉山により消滅。わずかに街路の跡と崩れた屋根が残るのみ。
- 国道38号
隣の駅
[編集]記録と調査
[編集]釧路市立博物館では、廃止になった駅や簡易軌道などの調査と研究を行っており、記録や資料、証言を収集している。2019年(平成31年)3月16日の尺別駅と直別駅の廃止に合わせ、同年3月2日から4月6日、同館常設展示室内においてミニ企画展「尺別駅と直別駅」が開催され、両駅の駅名標や時刻表、行先標などが展示された。また同年9月15日、展示内容とその後の調査結果などをまとめたブックレット『尺別駅と直別駅』が刊行されている[21]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1948年(昭和23年)撮影航空写真 USA-R329-75。岩粉工場は既に建てられて引込線も敷かれているようだが、1953年(昭和28年)から1年半程度の操業であったとされる。
- ^ 本線横に敷かれた側線の外側(駅裏側)に細長い貯炭場を間に挟んで尺別炭礦の運炭軌道が並行して敷かれ、軌道側の貨車から国鉄側の貨車へ積み替え作業を行った。このため200人以上がこの作業に従事し、当時の当駅は大変に賑やかであった。
- ^ 側線と転車台は尺別炭礦側の財産であったが、国鉄側に譲った形になっている。元々この転車台を必要としていたのは国鉄側の機関車であった。
出典
[編集]- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、880頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、233頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『尺別鉄道 50年の軌跡』 大谷正春著 1984年7月 ケーエス興産発行。
- ^ 『2019年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道株式会社、2018年12月14日、4頁。オリジナルの2018年12月14日時点におけるアーカイブ 。2018年12月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 石川孝織 (2019-06). “2019年3月改正で廃止された根室本線尺別駅と直別駅”. 鉄道ピクトリアル (株式会社電気車研究会(鉄道図書刊行会)) 69 (6(通巻960)): pp.122-124. ISSN 0040-4047.
- ^ 内閣印刷局, ed (1917-11-27). “鉄道院告示 第33号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2289) .
- ^ a b c d e 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、127頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 内閣印刷局, ed (1925-01-27). “鉄道省告示 第7号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3727) .
- ^ a b c d e f 釧路市地域史研究会 『釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念』 釧路市 、2006年10月。
- ^ 内閣印刷局, ed (1930‐03-28). “鉄道省告示 第72号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (971) .
- ^ 「通報 ●根室本線西帯広駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年10月2日、2面。
- ^ 「日本国有鉄道公示第408号」『官報』1971年10月2日。
- ^ 小室, 俊一「施工記録 低廉化PCまくらぎの投入」『日本鉄道施設協会誌』第36巻第9号、日本鉄道施設協会、1998年9月、30-32頁、doi:10.11501/3255434、ISSN 0913-2643。
- ^ 藤島, 茂「JR北海道における130km/h高速化」『鉄道と電気技術』第8巻第4号、日本鉄道電気技術協会、1997年3月、68-71頁、doi:10.11501/3314045、ISSN 0915-9231。
- ^ a b “根室線で脱線事故”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2000年7月17日)
- ^ “釧路市内の直別駅と尺別駅 JRが廃止検討”. 北海道新聞. (2018年6月20日) 2018年6月20日閲覧。
- ^ 『2019年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道株式会社、2018年12月14日、4頁。オリジナルの2018年12月14日時点におけるアーカイブ 。2018年12月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g “アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月8日閲覧。
- ^ a b c 高田誠 (2019年3月16日). “北海道)JR尺別駅、直別駅廃止で、さよならセレモニー”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2019年3月16日時点におけるアーカイブ。 2019年3月16日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ “ブックレット「尺別駅と直別駅」”. 釧路市立博物館 (2023年7月17日). 2023年10月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 石川孝織/編著 釧路市立博物館ブックレット『尺別駅と直別駅』 2019年9月 釧路市立博物館友の会
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 尺別駅の積換え用の貯炭場(炭台ホーム)に横付けした軽便運炭軌道時代の尺別炭礦の列車 (4枚目の写真)北海道立図書館 北方資料デジタル・ライブラリー。機関車はダベンポート製B形8tサドルタンク1~4号のうちの1台。客車が1台接続されている。