松岡一衛
松岡 一衛(まつおか かずえ、1891年(明治24年)12月20日[1] - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。嘉義市尹、台北市尹、台中州知事。
経歴
[編集]広島県出身。1916年(大正5年)、中央大学経済科を卒業し、拓殖局雇、同属となった[1]。1919年(大正8年)、高等試験に合格。台中州地方課長・水利課長、台湾総督府中央研究所庶務課長、嘉義市尹、殖産局特産課長・附属茶検査所長・茶業伝習所長等を歴任[1]。1933年(昭和8年)、台北市尹となり、1936年(昭和11年)には台中州知事となった[1]。1939年(昭和14年)には殖産局長に就任し、営林署長、天然瓦斯研究所長を兼ねた[1]。1941年(昭和16年)に退官した[2]。退官後は台湾石炭社長に就く[3]。
家族
[編集]妻の千賀子(1906年生、女子学習院出身)は、男爵有馬頼多と智子(今園国映娘)の子で、両親が離婚したため、今園家で祖母の養女として育った。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 日本官界名鑑 1940.
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ 松岡一衛『人事興信録. 第13版(昭和16年) 下』
参考文献
[編集]- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十五年版』日本官界情報社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。