水橋郵便局
水橋郵便局(みずはしゆうびんきょく)
水橋郵便局 | |
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基本情報 | |
正式名称 | 水橋郵便局 |
前身 | 水橋郵便取扱所 |
局番号 | 32013 |
設置者 | 日本郵便株式会社 |
所在地 | 〒939-0599 富山県富山市水橋畠等229-1 |
位置 | 北緯36度44分58.7秒 東経137度18分11.1秒 / 北緯36.749639度 東経137.303083度座標: 北緯36度44分58.7秒 東経137度18分11.1秒 / 北緯36.749639度 東経137.303083度 |
貯金 | |
店名 | ゆうちょ銀行 代理店 |
保険 | |
店名 | かんぽ生命保険 代理店 |
特記事項 | |
ATMホリデーサービス実施 |
水橋郵便局(みずはしゆうびんきょく)は富山県富山市にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。
概要
[編集]民営化直前の集配業務再編において、多くの集配普通郵便局は統括センターとなったが、当局は配達センターとされたため、民営化後も郵便事業株式会社の支店は併設されず、集配センターが併設された。
分室
[編集]分室はなし。過去に存在した分室は以下のとおり。
- 保険分室 - 廃止年月日不詳。簡易生命保険および郵便年金事務のみ取扱。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年)1月1日 - 水橋郵便局(五等)となる[2]。
- 1881年(明治14年)
- 1882年(明治15年)7月16日 - 為替及び貯金の取扱を開始する[5][6]。
- 1897年(明治30年)3月11日 - 水橋郵便電信局(三等)となる[7][8]。
- 1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い水橋郵便局(三等)となる[2]。
- 1906年(明治39年) - 東水橋町西天神町より同町辻ヶ堂に移転する[4]。
- 1907年(明治40年)12月21日 - 電話通話事務を開始する[5][9]。
- 1910年(明治43年)
- 1916年(大正5年)5月31日 - モールス印字機を音響機に取替える[12]。
- 1933年(昭和8年)11月10日 - 局舎を新築する[4]。
- 1950年(昭和25年)11月16日 - 中新川郡東水橋町に保険分室を設置する[13]。
- 1952年(昭和27年)6月21日 - 保険分室の拡張工事が完了し、新局舎(郵政図書館併設)にて業務を開始する[14]。
- 1958年(昭和33年)
- 1962年(昭和37年)
- 1966年(昭和41年)
- 1971年(昭和46年)12月17日 - 水橋電報電話局を廃止し[21][22]、昭和33年郵政省告示第989号より水橋郵便局及び水橋電報電話局を削除する[23]。
- 1988年(昭和63年)2月15日 - 富山市水橋辻ヶ堂から、同市水橋畠等に局舎を移転する[24]。
- 1990年(平成2年)4月2日 - 特定郵便局から普通郵便局に局種別を改定する[25]。
- 2000年(平成12年)8月14日 - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始する[26]。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業富山支店水橋集配センターに一部業務を移管。
- 2011年(平成23年)9月20日 - 併設の水橋集配センターが郵便事業富山支店の移転改称に伴い、郵便事業富山西支店の所属となる。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 日本郵便株式会社発足に伴い、郵便事業富山西支店水橋集配センターを水橋郵便局に統合。
- 2022年(令和4年)5月20日 - 精米所を開設する[27][28]。
取扱内容
[編集]風景印
[編集]過去の風景印
[編集]- 1981年(昭和56年)7月15日 - 1990年(平成2年)4月1日
- 表記は『富山水橋』
- 図案は『立山連峰』・『白岩川河畔』・重要文化財『薬研』
周辺
[編集]アクセス
[編集]- あいの風とやま鉄道線 水橋駅から北へ約1.1km(徒歩約12分)
- 富山地鉄バス 水橋支所停留所下車
- 北陸自動車道 滑川ICから西へ約8.5km
- 駐車場あり:9台
脚注
[編集]- ^ 山口修監修 『全国郵便局沿革録 明治編』 日本郵趣出版 1980年12月28日発行
- ^ a b c d 山口修監修、『全国郵便局沿革録 明治篇』(174頁)、1980年(昭和55年)12月、日本郵趣出版
- ^ 『越中史料』第4巻(同書3頁、1909年(明治42年)9月、富山県)には、1872年(明治5年)10月開設とあるが、『全国郵便局沿革録 明治篇』(同書174頁、1980年(昭和55年)12月、日本郵趣出版)及び『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(同書212頁、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会)においては、1874年(明治7年)1月15日に開設とある。本年表においては、『全国郵便局沿革録 明治篇』及び『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』の記述に従った。
- ^ a b c d 富山県中新川郡水橋町編、『水橋町郷土史 第一巻』(651頁)、1966年(昭和41年)3月、水橋町役場
- ^ a b 富山呉西特定郵便局長会編、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(212頁)、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会
- ^ 明治15年6月26日梓替15第60号(郵政省編、『郵政百年史資料 第十巻』(454頁)、1969年(昭和44年)3月、吉川弘文館)
- ^ 明治30年逓信省告示第61号(『官報』、1897年(明治30年)3月6日、内閣官報局)
- ^ 『全国郵便局沿革録 明治篇』(同書174頁、1980年(昭和55年)12月、日本郵趣出版)には、1897年(明治30年)2月11日に郵便電信局へ改称とあるが、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(同書212頁、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会)には同年3月11日より電信の取扱を開始したとあり、また明治30年逓信省告示第61号にも同年3月11日より水橋電信郵便局と改称したとある。本年表においては、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』及び明治30年逓信省告示第61号に従い、1897年(明治30年)3月11日を以てその改称日とした。
- ^ 明治40年逓信省告示第854号(『官報』、1907年(明治40年)12月20日、内閣印刷局)
- ^ a b 明治43年逓信省告示第836号(『官報』、1910年(明治43年)8月5日、内閣印刷局)
- ^ 明治43年逓信省告示第1101号(『官報』、1910年(明治43年)10月20日、内閣印刷局)
- ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(550頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ 昭和26年郵政省告示第2号(昭和26年1月8日付官報第7196号掲載)
- ^ 「板塀も宣伝に一役 水橋郵便局分室の新装成る」、『北日本新聞』(4面)、1952年(昭和27年)6月21日、北日本新聞社
- ^ 昭和33年郵政省告示第487号(『官報』、1958年(昭和33年)5月30日)
- ^ 北日本新聞社調査出版部編、『北日本年鑑 1959年版』(164頁)、1959年(昭和34年)3月、北日本新聞社
- ^ 昭和37年郵政省告示第511号(『官報』、1962年(昭和37年)8月6日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和37年郵政省告示第556号(『官報』、1962年(昭和37年)8月23日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和41年郵政省告示第356号(『官報』、1966年(昭和41年)4月28日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和41年郵政省告示第388号(『官報』、1966年(昭和41年)5月10日)
- ^ 昭和46年日本電信電話公社公示第120号(『官報』、1971年(昭和46年)12月3日)
- ^ 同日、水橋電報電話局は富山電報電話局と合併し市内通話となった(富山市役所編、『富山市史 第五巻』(325頁)、1980年(昭和55年)3月、富山市役所)
- ^ 昭和46年郵政省告示第949号(『官報』、1971年(昭和46年)12月14日)
- ^ 昭和63年郵政省告示第114号(『官報』、1988年(昭和63年)2月23日、大蔵省印刷局)
- ^ 平成2年郵政省告示第171号(『官報』、1990年(平成2年)3月27日、大蔵省印刷局)
- ^ 平成12年郵政省告示第491号(『官報』、2000年(平成12年)8月3日、大蔵省印刷局)
- ^ “富山の郵便局に「精米所」設置 なぜ?”. ITmedia. 2023年(令和5年)12月12日閲覧。
- ^ “「地域の特性やお客さまニーズを踏まえた郵便局モデル」の創出 ~郵便局での精米所の開設~”. 日本郵政. 2023年(令和5年)12月12日閲覧。