池田太寅

 
池田太寅
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 天和2年7月2日1682年8月4日
死没 享保8年10月9日1723年11月6日
別名 刑部(通称)
主君 池田綱政継政
備前岡山藩
氏族 池田氏(長政流)
父母 池田宗春日置忠治娘恵明院
兄弟 太寅伊木忠義正室
伊木忠義養女てる
俊清
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池田 太寅(いけだ たいしん)は、江戸時代前期から中期にかけての岡山藩家老。通称は刑部。建部池田家(森寺池田家)7代当主。

略歴

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天和2年(1682年)7月2日、岡山藩家老池田宗春の嫡男として誕生。貞享2年(1685年)、父長尚の死により4歳で家督相続した。幼少のため、当初は家老森寺庄右衛門が名代となった。元禄11年(1698年)2月、母恵明院(日置金子)が死去した。元禄12年(1699年)、刑部と名を改める。元禄13年(1700年)、江戸家老となる。宝永元年(1704年)、日置忠明と共に、江戸藩邸を訪れた伯父の加賀藩家老今枝直方(忠明の弟で、母恵明院の兄)と初めて対面する。宝永3年(1706年)、仕置家老となる。

享保8年(1723年)10月9日没。享年42。家督は母方の従弟俊清(日置忠明末子)を養子に迎えた。正室てる(随松院)は寛保3年(1743年)没している。

系譜

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参考文献

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  • 『池田老臣累記』
  • 『備前家老略伝』
先代
池田宗春
建部池田家(森寺池田家)
7代
1685年 - 1723年
次代
池田俊清