池田宗春
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 承応2年(1653年) |
死没 | 貞享2年9月14日(1685年10月11日) |
改名 | 長尚、宗春 |
別名 | 隼人(通称) |
墓所 | 岡山県岡山市北区建部町の阿光山建部池田家墓所 |
主君 | 池田光政、綱政 |
藩 | 備前岡山藩 |
氏族 | 池田氏(長政流) |
父母 | 池田長泰、池田利政娘森昌院 |
兄弟 | 宗春、土倉一長室 |
妻 | 日置忠治娘金子 |
子 | 太寅、伊木忠義正室 |
池田 宗春(いけだ むねはる)は、江戸時代前期の岡山藩の家老。通称は隼人。建部池田家(森寺池田家)6代当主。
略歴
[編集]承応2年(1653年)、岡山藩家老池田長泰の嫡男として誕生。母は池田利政の娘森昌院。初名は長尚。
明暦3年(1657年)、父長泰の死去により知行のうち1万石を相続し、仕置家老となる。延宝2年(1674年)、領内の天神宮を再建、子孫累代崇敬し、筏祀科を献納した。延宝4年(1676年)、病により仕置家老を辞職する。
貞享2年(1685年)9月14日没。享年33。墓所は阿光山建部池田家墓所(岡山県岡山市北区建部町)。家督は嫡男太寅が相続した。正室の恵明院は元禄11年(1698年)2月18日没。
系譜
[編集]- 父:池田長泰(1626-1657)
- 母:森昌院(?-1707) - 池田利政の娘
- 正室:金子(?-1698) - 恵明院、日置忠治の娘
- 嫡男:池田太寅(1682-1723)
- 生母不明の子女
- 女子:伊木忠義正室(?-1693)
参考文献
[編集]- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』
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