西郷従徳
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西郷従徳 さいごう じゅうとく | |
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生年月日 | 1878年10月21日 |
没年月日 | 1946年2月6日(67歳没) |
出身校 | 陸軍士官学校卒業 |
前職 | 陸軍 |
称号 | 正二位 勲二等旭日重光章 勲二等瑞宝章 勲三等旭日中綬章 帝都復興記念章 正三位 勲三等瑞宝章 従三位 大礼記念章(大正) 大正三四年従軍記章 韓国併合記念章 正四位 功四級金鵄勲章 勲五等双光旭日章 従四位 勲四等旭日小綬章 正五位 |
配偶者 | 西郷豊子 |
子女 | 長男・西郷従吾 次男・古河従純 |
親族 | 父・西郷従道(内務大臣) 義父・岩倉具定(宮内大臣) 伯父・西郷隆盛(参議) 弟・西郷豊彦(貴族院議員) 弟・上村従義(貴族院議員) 義弟・岩倉具張(貴族院議員) 甥・岩倉具栄(貴族院議員) 従弟・西郷菊次郎(京都市長) 従弟・西郷寅太郎(貴族院議員) |
在任期間 | 1903年10月20日 - 1946年2月6日 |
西郷 従徳(さいごう じゅうとく、1878年(明治11年)10月21日 - 1946年(昭和21年)2月6日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。貴族院議員、陸軍大佐、正二位勲二等功四級、侯爵[1]。
人物
[編集]西郷従道の次男として生まれる。西郷隆盛の甥にあたる。1899年11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、陸軍少尉任官。最終階級は陸軍大佐。父の薨去により、1902年8月9日、西郷家を継ぎ侯爵を襲爵[2]。1904年、近衛歩兵第三連隊中隊長として日露戦争に向かい、鴨緑江会戦・遼陽会戦・沙河会戦・奉天会戦に参加した[3]。1923年、加藤友三郎内閣の陸軍軍縮に伴い退官、予備役に編入された[3]。墓所は多磨霊園。
資産家であり、東京府多額納税者(直接国税1万2000円余)に名を連ねたことがある[4]。
官歴等
[編集]- 1903年(明治36年)10月20日 - 貴族院侯爵議員[5]
- 1906年(明治39年)5月30日 - 免 第一師管軍法会議判事、免 近衛歩兵第3連隊付[6]
- 1913年(大正2年)12月20日 - 免 陸軍省副官、近衛歩兵第4連隊付[7]
栄典
[編集]- 位階
- 1902年(明治35年)8月30日 - 正五位[8]
- 1906年(明治39年)9月10日 - 従四位[9]
- 1911年(明治44年)9月20日 - 正四位[10]
- 1917年(大正6年)10月1日 - 従三位[11]
- 1924年(大正13年)10月15日 - 正三位[12]
- 1941年(昭和16年)11月15日 - 正二位[13]
- 勲章等
- 1902年(明治35年)8月9日 - 侯爵[14]
- 1906年(明治39年)
- 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章[17]
- 1915年(大正4年)
- 1918年(大正7年)9月26日 - 勲三等瑞宝章[20]
- 1931年(昭和6年)5月1日 - 帝都復興記念章[21]
- 1934年(昭和9年)
- 1938年(昭和13年)2月11日 - 金杯一個[23]
- 1940年(昭和15年)4月 - 勲二等旭日重光章[22]
- 外国勲章佩用允許
家族
[編集]妻は岩倉具定の二女・豊子。6男4女がおり、長男は西郷従吾、以下、古河従純(古河財閥4代当主、長男古河潤之助は久邇宮朝融王娘婿)、西郷従竜(陸軍少佐)、西郷従宏(陸軍少佐)、黒木従達(東宮侍従長、黒木三次の養子)など。長女・道子は子爵稲葉直通(稲葉久通孫)の妻。
著作
[編集]- 『昭和聖勅謹話』 青山会館、1927年(昭和2年)
- 『母上の三年祭を迎へて』 西郷従徳、1931年(昭和6年)
- 『明治天皇と北海道』 明治天皇聖蹟保存会、1936年(昭和11年)
- 『西郷吉二郎大人』 西郷従徳、1939年(昭和14年)
- 『明治天皇の御聖徳に就て』(長野市聖徳記念会叢書第5輯 ) 西郷従徳、1939年(昭和14年)
脚注
[編集]- ^ 『官報』第5734号「彙報 - 帝国議会 - 議員薨去及弔辞」1946年2月26日。
- ^ 『官報』第5731号、明治35年8月11日。
- ^ a b 『古河従純君伝』(古河従純君伝編纂委員会、1971年)p.14
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、578-579頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『帝国議会会議録』第19回帝国議会 貴族院 議員の異動
- ^ a b 『官報』第6874号「叙任及辞令」1906年5月31日。
- ^ 『官報』第421号「叙任及辞令」1913年12月22日。
- ^ 『官報』第5749号「叙任及辞令」1902年9月1日。
- ^ 『官報』第6962号「叙任及辞令」1906年9月11日。
- ^ 『官報』第8477号「叙任及辞令」1911年9月21日。
- ^ 『官報』第1551号「叙任及辞令」1917年10月2日。
- ^ 『官報』第3646号「叙任及辞令」1924年10月16日。
- ^ 『官報』第4535号「叙任及辞令」1942年2月23日。
- ^ 『官報』第5731号「辞令」1902年8月11日。
- ^ 『官報』第7030号・号外「叙任及辞令」1906年12月4日。
- ^ 『官報』第7272号「辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
- ^ 『官報』第1222号・付録「叙任及辞令」1916年8月25日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1846号「叙任及辞令」1918年9月27日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ a b c 『古河従純君伝』(古河従純君伝編纂委員会、1971年)p.15
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。
- ^ 『官報』第5060号・付録「辞令二」1943年11月24日。
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
関連項目
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 西郷従道 | 侯爵 西郷(従道)家第2代 1902年 - 1946年 | 次代 華族制度廃止 |